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研究ハイライト

市販の化合物からナノグラフェンライブラリを構築 〜新反応によりナノグラフェンの多様性指向型合成が可能に〜

国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の伊丹健一郎 教授、伊藤 英人 准教授、松岡 和 博士研究員は、米国イリノイ大学 デイビッド サーラ 教授との共同研究により、次世代有機エレクトロニクス材料として期待される「ナノグラフェン」の多様性指向型合成法注1)の開発に成功しました。
今回開発した手法を用いると、市販の化合物からわずか数段階で、様々な光・電子・磁気機能をもつ「ナノグラフェン」を一挙に合成(ライブラリ構築)することが可能です。
本研究成果は、202162418時(日本時間)付英国科学誌「Nature Communications」オンライン版に掲載されました。

【研究の背景】

グラフェンは、炭素原子からなるシート状の平面物質のことを指し、その厚みはわずか原子1個分、およそ10億分の3メートルしかありません(図1上段)。グラフェンは、2004年に初めて単離(2010年ノーベル物理学賞)されて以来、世界中の研究者の注目の的となっています。グラフェンの最大の特徴は既存の材料を凌駕する物理的特性にあります。特に、現在ほとんどの半導体に用いられているシリコンの数百倍もの電子移動度をもつとも言われています。そのため、応用研究が進めば様々な電子機器(太陽電池やパーソナルコンピュータ等)の大幅な高性能化が実現できると期待されています。


グラフェンからナノメートル(10億分の1メートル)サイズの部分構造を切り出したものを「ナノグラフェン」と呼びます(図1上段)。ナノグラフェンはグラフェンにはない磁性や電気的特性をもつため、グラフェンと並んで最も注目を集める材料の一つと認識されています。一口にナノグラフェンといっても、その化学構造や特性は多種多様です。図1中段に示したように、ナノグラフェンの種類は、グラフェンから切り出す六角形(ベンゼン環)の数に従って急激に増加します。例えば、ベンゼン環10個からなる比較的小さなナノグラフェンに限っても16000種類を超えるナノグラフェンが存在します。これら一つひとつのナノグラフェンは全く異なる物理的性質を有するため、ナノグラフェンの応用研究を発展させるためには、構造と物性の相関を解明しナノグラフェンのもつ特性を最大限に引き出すことが鍵となります。


ナノグラフェンの構造物性相関を解明するためには、できる限り多種類のナノグラフェン(以下「ナノグラフェンライブラリ」)を調製し、それぞれの物性を評価することが必要不可欠です。この目的を達成するため、世界中の研究グループが、ナノグラフェンの有機合成法の開発に取り組んできました。現在主流となっているナノグラフェンの合成法では、はじめに原料となる有機分子を何段階にも及ぶ工程を経て連結(以下「カップリング反応」注2))し、目的のナノグラフェンに適した前駆体を調製します(図1下段)。続いて、得られた前駆体にシート化反応を施すことでナノグラフェンを合成します。このような手法は、有用な材料であるナノグラフェンの有機合成を可能にしましたが、多様なナノグラフェンからなるナノグラフェンライブラリの構築には課題がありました。従来の手法は、目的のナノグラフェンに適した前駆体をカップリング反応により逐一調製する必要があります。すなわち、100種類のナノグラフェンからなるライブラリを構築するためには100種類のカップリング戦略(原料分子とカップリング反応の組み合わせ)を考案しなければなりません。したがって、ナノグラフェンの構造の多様性を考慮すると、従来の手法でナノグラフェンライブラリを構築することは極めて困難でした。

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図1:ナノグラフェンとその合成法

【本研究の成果】

今回、伊丹教授らの研究グループは、ナノグラフェンの種とみなせる市販の化合物を鋳型として用い、これを成長させるように多様なナノグラフェンを合成するテンプレート成長法の開発に成功しました(図2)。本手法は、限られた鋳型分子とテンプレート成長反応(APEX反応とよばれる)のみを用いて、多様なナノグラフェンを合成する多様性指向型の合成法であり、ナノグラフェンライブラリの構築に極めて有用な手法です。このような理想的な合成法が実現する鍵となったのは、伊丹教授らが世界に先駆けて研究を行っていたAPEX反応の発展でした。

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図2:開発したナノグラフェン合成法

これまでに伊丹教授らは、市販の多環芳香族炭化水素を鋳型としてナノグラフェンを合成するAPEX反応の研究を行ってきました(図3上段)。多環芳香族炭化水素は、石油から安価に入手でき、不完全燃焼で生じる煤(すす)や土星のリング、隕石などにも含まれる興味深い化合物です。多環芳香族炭化水素は、その化学構造に応じてK領域やbay領域、M領域と呼ばれる末端構造を有しています。これらの領域をそれぞれ伸長させるAPEX反応を開発することができれば、ひとつの鋳型分子から3種類のナノグラフェンを合成することが可能です。さらに、得られたナノグラフェンを新たな鋳型として繰り返し成長させることで、わずか1種類の多環芳香族炭化水素と3種類のAPEX反応から非常に多くの種類のナノグラフェンを合成することが可能になります。伊丹教授らはこれまでに、鋳型分子のK領域を伸長させるAPEX反応を開発していました。また、海外の研究グループによってbay領域を伸長させるAPEX反応が報告されていました。

今回伊丹教授らは、新たに考案した合成戦略(脱芳香族的APEX反応)により、第3のテンプレート成長反応であるM領域でのAPEX反応を開発しました。はじめに鋳型分子に活性化剤を作用させ、ディールズ-アルダー反応と呼ばれる反応(1950年ノーベル賞)により、M領域を活性化します(図3中段)。続いて活性化された鋳型分子に対して伸長反応を行うことで、活性化されていたM領域でのテンプレート成長が実現します。この新たに開発したAPEX反応は非常に効率的であり、わずか2段階で市販の鋳型分子からナノグラフェンの合成が可能です。さらに、本反応は高選択的であり、鋳型分子がK領域やbay領域を有している場合でもM領域のみを狙って伸長させることが可能です。すなわち、本反応はこれまでに開発されていたK領域やbay領域でのAPEX反応と組み合わせて用いることができます。したがって、1つの鋳型分子から3種類の成長反応を繰り返すことで多種多様なナノグラフェンを合成することが可能になりました。実際に、伊丹教授らは市販の多環芳香族化合物に対してわずか1〜3回のAPEX反応を行うことで13種類ものナノグラフェンの合成に成功しています(図3下段)。合成されたナノグラフェンの多くは新規化合物(これまでに合成不可能であった物質)であり、ユニークな電子物性や光学特性の発現が期待されます。

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図3:テンプレート成長法とAPEX反応

今回、伊丹教授らは市販の化合物から多様なナノグラフェンを迅速に合成するテンプレート成長法の開発に成功しました。本手法は従来法では困難であった、ナノグラフェンライブラリの構築を可能にする優れた手法です。現在ナノグラフェンは、高速トランジスタ、タッチパネル、半導体メモリ、太陽電池、ナノ電極など様々な応用研究が行われています。いずれの研究でもナノグラフェンの優れた特性を最大限に引き出すため、「化学構造と物理的性質の相関」を解明することが必要不可欠です。テンプレート成長法は、ナノグラフェンライブラリの構築を通じて構造物性相関の解明を加速させるため、今回の新技術のもたらす波及効果は極めて大きいと考えられます。

【用語解説】

注1)多様性指向型合成法
特定の分子の合成ではなく、多様な化合物からなるライブラリの構築を目的とした合成戦略。反対に、特定の分子の合成を目的とした合成戦略は標的指向型合成と呼ばれ、従来のナノグラフェン合成法は標的指向型合成法に分類されます。

注2)カップリング反応
分子と分子を連結させる反応の総称。代表的なカップリング反応として、2010年のノーベル化学賞の授賞研究として知られる鈴木−宮浦カップリング反応があります。鈴木−宮浦カップリング反応はパラジウムを触媒として、有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化物を連結します。

【論文情報】

雑誌名:Nature Communications

論文タイトル:Diversity-oriented synthesis of nanographenes enabled by dearomative annulative π-extension(脱芳香族的縮環π拡張反応の開発とナノグラフェンの多様性指向型合成)

著 者:Wataru Matsuoka, Hideto Ito, David Sarlah, Kenichiro Itami (松岡和、伊藤英人、David Sarlah、伊丹健一郎)

論文公開日:2021年6月24日

DOI: 10.1038/s41467-021-24261-y

2021-06-25

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