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研究ハイライト

炭素の結び目、初の合成 ~複雑な幾何学構造をもつナノカーボンへ大きな一歩~

JST 戦略的創造研究推進事業において、ERATO 伊丹分子ナノカーボンプロジェクトの伊丹 健一郎 研究総括(名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM) 拠点長/教授)、瀬川 泰知 化学合成グループリーダー/研究総括補佐(名古屋大学 大学院理学研究科 特任准教授)、桑山 元伸 技術員らの研究グループは、炭素の絡み目「オールベンゼンカテナン」、炭素の結び目「オールベンゼンノット」の世界初の合成に成功しました。

グラフェンやカーボンナノチューブなどナノメートルサイズの周期性をもつ炭素物質「ナノカーボン」を精密に設計して合成する方法は材料科学分野で強く求められています。これを達成するために、有機合成化学の手法を用いてナノカーボンの部分構造となる分子を合成する「分子ナノカーボン科学」が近年盛んに研究されています。しかし、これまでに合成された分子ナノカーボンは、ベンゼン注1)が連なったオールベンゼンリングなど幾何学的に単純な構造でした。理論化学的に予測されている複雑な幾何学構造(トポロジー注2))をもつ未踏のナノカーボンを合成するには、分子ナノカーボンにトポロジーを付与する新しい合成法が必須です。

本研究グループは、結び目(ノット)や絡み目(カテナン)をもつ分子ナノカーボンを合成することに成功しました。ケイ素原子を用いる新たな方法によって合成した「オールベンゼンカテナン」と「オールベンゼンノット」はX線結晶構造解析によって構造が確認され、幾何学構造に由来する特異な光物性や動的挙動をもつことが明らかになりました。

本研究成果は、複雑な幾何学構造をもつ新たなナノカーボン材料の開発に道をひらく画期的な成果です。

本研究成果は、2019年7月18日(米国東部時間)に米国科学誌「Science」のオンライン速報版で公開されました。

【ポイント】

  • ベンゼンが連なったリングに結び目や絡み目を作る新しい合成法を開発した。
  • リング同士が鎖のように連結して絡み目をもった「オールベンゼンカテナン」と、結び目をもつリング「オールベンゼンノット」を世界で初めて合成し構造を決定した。
  • 複雑な幾何学構造をもつナノカーボンを設計・合成するための大きな一歩となる。

<研究の背景と経緯>

 グラフェンやカーボンナノチューブなどのナノメートルサイズの周期性をもつ炭素物質は「ナノカーボン」と呼ばれ、軽量で高機能な次世代材料として期待されている物質です。構造によって電子的・機械的性質に大きな違いがあるため、望みの性質をもつナノカーボン構造のみを狙って精密に合成する方法が求められています。その中で、有機合成によってナノカーボンの部分構造をもつ分子を精密に合成する「分子ナノカーボン科学」が近年注目され、世界中で研究されています。

 これまでに、フラーレン、グラフェン、カーボンナノチューブの部分構造となる分子(分子ナノカーボン)が多く合成されてきました(図1)。しかし、これらはトポロジーの観点から分類すると比較的単純な構造です。一方で、ドーナツ状(トーラス)やコイル状など、複雑なトポロジーをもつナノカーボンは理論化学的に多数予測されており、これらナノカーボンが示す未知の物性に興味がもたれています。このようなナノカーボンの精密合成の第一歩として、本研究グループは複雑なトポロジーをもつ分子ナノカーボンである「トポロジカル分子ナノカーボン」を提唱しました。

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図1 代表的なナノカーボン3種類(上)およびそれらの部分構造をもつ分子(下)

<研究の内容>

 本研究グループは、トポロジーの基本である結び目や絡み目をもつ分子ナノカーボンを合成することに成功しました。ノット(結び目)やカテナン(絡み目)と呼ばれる分子の合成は1960年代から行われています。近年では分子マシン(ナノメートルサイズの機械)への応用が期待され、2016年のノーベル化学賞の受賞理由となったことでも広く知られています。しかし従来の一般的な合成法では炭素骨格のみで結び目や絡み目構造を作ることはできず、窒素原子や酸素原子などを導入し、それを足がかりとしてトポロジカルな構造へと誘導する必要がありました(図2左)。そのため、結び目や絡み目をもつ分子ナノカーボン(図2中央および右)を合成するには、新しい合成法を開発する必要がありました。

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図2 絡み目や結び目をもつ分子 これまでの例(左)、今回合成した分子(右)

左の例は、2016年のノーベル化学賞受賞者であるJ・P・ソヴァージュ教授が開発した方法。収率よくカテナンを合成できるため世界中で使用されているが、生成物に窒素原子が入ってしまうため、トポロジカル分子ナノカーボン(中央および右)の合成には使用できない。

 カーボンナノチューブの部分構造である分子ナノカーボン「シクロパラフェニレン」は、ベンゼンだけでできた、直径1ナノメートル程度の大きさをもつリング状分子です(図1中央下)。このシクロパラフェニレンの合成の途中にケイ素原子を「仮留め部位」として用いることによって、結び目や絡み目を導入することができると考えました。このケイ素は後にフッ素処理によって除去できるため、最終的に炭素骨格のみからなる結び目や絡み目を得ることができます。

 実際の合成を図3と図4に示します。まずC字型の分子を用意し、2つのC字型分子の中央をケイ素原子でつなぎます。ニッケルを用いた反応によってそれぞれのC字の末端をつないで2つの輪を作り、フッ素(フッ化テトラブチルアンモニウム)によってケイ素原子を除去した後にナトリウムを用いた反応を行うことで、2つのシクロパラフェニレンが幾何学的に連結した分子「オールベンゼンカテナン」に変換します。この合成法によって、ベンゼン12個からなるリング同士のカテナンを収率16パーセントで、およびベンゼン12個と9個の異なるサイズのリングが連結したカテナンを収率1.5パーセントで合成することに成功しました。

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図3 オールベンゼンカテナン(上)およびノット(下)の合成戦略(概要)

ケイ素原子はアルコール中でフッ素と反応させることで除去され、ケイ素原子の代わりに水素原子が導入される。

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図4 オールベンゼンカテナン(上)およびノット(下)の合成経路(詳細)

図中のROおよびORはノルマルブトキシ基(酸素1原子、炭素4原子、水素9原子からなる原子団)。化合物の有機溶媒への溶解性を上げ、折れ曲がり構造を作るために導入している。ナトリウムを用いた反応によって最終段階で除去した。

 この合成法を応用し、さらに難易度が高く"不可能分子"とも言うべき、結び目をもつトポロジカル分子ナノカーボン「オールベンゼンノット」を合成しました。仮留め部位を適切な位置に2つ配置することで分子ノットのトポロジーを作れることが他の先行研究で知られているため、仮留め部位としてケイ素原子を2つもつ前駆体を設計しました。図4に示すように、U字型分子をケイ素でつないだ分子を合成し、このユニットに対してオールベンゼンカテナンと同様の反応(ホモカップリング反応、フッ素処理、ナトリウム還元反応)を行うことで、0.3パーセントという低収率ながら、目的とする「炭素の結び目」であるオールベンゼンノットの合成に世界で初めて成功しました。X線結晶構造解析注3)によって、この分子が結び目をもつことを確認しました(図5)。加えて、本研究グループが合成したオールベンゼンノットを部分構造とするカーボンナノトーラス(ドーナツ状のナノカーボン)が存在する(図1右上および右下)ことを計算科学的に明らかにし、オールベンゼンノットがトポロジカルナノカーボン合成に向けた重要なステップであることを示しました。

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図5 オールベンゼンノットの分子構造 灰色:炭素原子、白:水素原子。

X線結晶構造解析によって、結び目をもつ分子であることを完全に証明した。

 次に、これら新たに合成した分子が、結び目や絡み目に由来する特異な性質をもつことを明らかにしました。サイズの異なる2つのリングからなるカテナンは、光による励起の後、大きなリングから小さなリングへと非常に速い励起エネルギーの移動が起きることを観測しました。カテナン構造は、それぞれのリングがもつ対称性を完全に維持したままリング同士の相互作用の効果を確認する唯一の方法であり、今回の実験によってリング同士がカテナン構造を介して電子的に相互作用することを明らかにしました。

 また、オールベンゼンノットを有機溶媒に溶かし水素原子核のNMR注4)スペクトルを測定すると、マイナス95度の低温においても1種類のシグナルだけが観測されました。これは非常に速い運動によってスペクトルが平均化していることを表しています。スーパーコンピュータを用いたシミュレーションの結果、ドーナツ状の渦のような動きによってこのような速い平均化が起きていることが強く示唆されました。これらの性質を事前に予測することは極めて困難であり、合成・単離したことによって初めて発見することができました。

 結び目は左結びと右結びがあり、キラリティ注5)と呼ばれる性質をもちます。今回合成したオールベンゼンノットの左結びと右結びを分離することに成功し、オールベンゼンノットが結び目のキラリティに由来する円二色性注6)を示すことを明らかにしました。

<今後の展開>

 本研究成果は、トポロジカル分子ナノカーボンの合成に向けた大きな一歩となります。結び目や絡み目といった複雑な幾何学構造を炭素骨格のみで作ることが可能になったことで、これまでにない複雑なナノカーボンの設計と合成につながります。また、非常に美しい分子を革新的な方法で合成した例として有機化学の教科書に載る金字塔といえます。幾何学的な連結構造を基本とする分子マシンの設計を一新する可能性を秘めていることから、新たな化学の発展のスタート地点となる画期的な成果です。

<用語解説>

  注1)ベンゼン

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 炭素6原子、水素6原子からなる有機分子をベンゼンと呼び、その正六角形の炭素骨格をベンゼン環と呼ぶ。平面構造が最も安定であり、湾曲するとひずみエネルギーをもつ。

  注2)トポロジー

 リング(穴)、結び目、絡み目など、連続的に変形しても変わらない要素の種類や数に注目して形を分類する幾何学。

  注3)X線結晶構造解析

 結晶にX線を照射した際に生じる回折現象を利用して、結晶中の原子配置を測定する方法。分子の形を(結晶中の平均の姿として)観測できる。

  注4)NMR

 核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance)。分子の中の対象の原子(今回は水素)の原子核の状態や近傍からの磁気的影響を測定する方法。

  注5)キラリティ

 左手と右手のように、そのままでは一致しないが鏡に映すと一致する性質。

  注6)円二色性

 右回りの光(右円偏光)と左回りの光(左円偏光)の吸収強度に差が生じる現象。キラリティをもつ分子に見られる。

<論文タイトル>

"Topological molecular nanocarbons: all-benzene catenane and trefoil knot"

(トポロジカル分子ナノカーボン:オールベンゼンカテナンおよびトレフォイルノット)

著者名:瀬川 泰知、桑山 元伸、土方 優、伏見 雅子、西原 大志、ピリッロ ジェニー、白崎 淳哉、久保田 夏実、伊丹 健一郎 (は責任著者)

DOI:10.1126/science.aav5021

リンク:

http://www.itbm.nagoya-u.ac.jp/ja_backup/research/20190719_itami.jpg

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伊丹 健一郎 教授

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2019-07-17

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