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平田先生について

平田先生は1915年5月30日に山口県でお生れになり、山口高等学校理科甲類を経て、 1941年に東京帝国大学理学部化学科をご卒業になりました。 卒業研究および同大学大学院においては、有機化学の教授であられた久保田勉之助先生の下で黄変米の有毒成分の研究を進められ、 1943年には同大学助手になられました。

1944年1月に名古屋帝国大学理学部講師として江上不二夫先生の研究室へ赴任され、同年6月には助教授に昇任されました。 先生が名古屋帝国大学へ赴任された時代は戦時中で、研究室が名古屋から長野県上田市へ疎開した混乱の時期であり、 また終戦後もアルコールやアセトンといった溶媒すら入手し難い、物資不足の多難な時代でありました。 このような恵まれない研究環境の時代に江上研究室で生化学の研究法を学ばれつつ、 東京大学伝染病研究所の細谷省吾教授と抗生物質などの研究を行われ、また蚕糸試験所所長の吉川秀男博士(後に大阪大学医学部教授) と蚕の変異株の卵から3—オキシキヌレニンを抽出分離され、その構造決定と合成を達成されました。 この3—オキシキヌレニンの成果は蚕の遺伝ならびにトリプトファン代謝の研究分野へ貢献するものであり、 この研究に対して1951年、中日文化賞が授与されました。1952年1月から1953年5月まで米国ハーバード大学のフィーザー教授の下でステロイドの研究をされ、 帰国された翌年の1954年4月に名古屋大学教授に昇任され、理学部化学科第三講座(有機化学)を担当されました。 名古屋大学理学部で天然物有機化学の研究室を主宰された1954年以降、先生は動植物や微生物に含まれ、 顕著な生理作用を持つ微量な有機化合物の研究に重点を置かれ、これら天然生理活性物質の抽出、構造決定、 化学反応性解明の研究を30年以上にわたり一貫して推進されました。有機化学講座を担当されて以降、 先生はつぎつぎと懸案の課題に取り組まれ、1950年代には黎明期であった物理化学的分析法をいち早く天然有機化合物の構造決定に導入され、 多大な成果を挙げられました。