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研究ハイライト

細胞の中に入って働く湾曲ナノグラフェンを開発

 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクトの伊丹 健一郎教授、瀬川 泰知特任准教授、佐藤 良勝特任准教授、リン シンアン博士研究員らのグループは、湾曲したナノグラフェンを水溶化する方法を開発し、これがヒト培養細胞の細胞小器官に局在し、光によって細胞死を誘導する機能をもつことを明らかにしました。

 湾曲ナノグラフェンは、2013年に伊丹教授らが開発した新しい分子ナノカーボンです。有機溶媒によく溶け、紫外光を照射すると緑色の蛍光を発することから、既存のナノカーボンとは異なる応用が期待されていました。今回、伊丹教授らのグループは、湾曲ナノグラフェンを自在に化学修飾する手法を確立し、水に溶ける性質を付与した「水溶性湾曲ナノグラフェン」を合成しました。次に、水溶性湾曲ナノグラフェンがヒト培養細胞に取り込まれ、リソソームという細胞小器官に蓄積することを明らかにしました。さらに、ここにレーザー光を照射すると、光刺激を受けた細胞だけが死滅する現象が起きることを発見しました。

 本研究は、湾曲ナノグラフェンに様々な性質を簡単に付与できること、それが生命科学分野のツールとして利用できることを明確に示すものです。これはナノカーボンの構造をもつ分子を精密に合成する「分子ナノカーボン科学」の幅広い応用の可能性を示す好例であるとともに、合成化学と生命科学の密な連携による新たなイノベーションを目指す「トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)」の枠組みによって実現した画期的な共同研究成果です。

 この研究成果は、ドイツ化学専門誌「アンゲバンテ・ヘミー国際版」で1月29日(ドイツ時間)に公開されました。

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【ポイント】

❏ 炭素シートであるグラフェンをナノサイズで切り出した「ナノグラフェン」は、従来、シート同士が密着して凝集しやすく、有機溶媒への溶解性が低いため、化学修飾が難しかった。

❏ 本研究開発において、分子全体が大きく湾曲する「湾曲ナノグラフェン」を自在に化学修飾する手法を確立し、ナノグラフェンの水溶化に成功した。

❏ 水溶性湾曲ナノグラフェンが細胞に取り込まれ、光刺激による細胞死を誘導することも解明した。今後、バイオイメージング等への応用が期待される。

研究の内容:

【研究背景と内容】

 ナノグラフェンは、炭素シートであるグラフェンをナノサイズで切り出した構造をもつ分子です(図1左)。大きさや形によって多彩な電子的、光学的、磁気的性質を示すため、次世代材料として広く注目を集めています。これまでに、様々なナノグラフェンが合成され、その性質が調べられていますが、共通した問題点として、有機溶媒への溶解性が低いことが挙げられます。ナノグラフェンは平面状なので、平面同士が密着して凝集しやすく、溶媒中に均一に分散させることが一般に困難です。このような性質のため、溶媒中での化学反応を用いてナノグラフェンを自由自在に化学修飾するには大きな困難を伴いました。

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図1:(左)代表的なナノグラフェンの構造およびナノグラフェン同士が密着し凝集する様子。(右)湾曲ナノグラフェンの構造および溶液中で分散する様子。

 今回、名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)および科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業ERATO伊丹分子ナノカーボンプロジェクトの伊丹 健一郎教授、瀬川泰知特任准教授、佐藤 良勝特任准教授、リン シンアン博士らのグループは、湾曲ナノグラフェンを水溶化する方法を開発し、これを生命科学のツールとして利用することに成功しました。

 湾曲ナノグラフェンは、2013年に伊丹教授らが開発した新しいナノグラフェンです。既存のナノグラフェンが六角形のみからなるのと異なり、湾曲ナノグラフェンは六角形だけでなく五角形と七角形をもちます。これによって分子全体が大きく湾曲するため、分子同士が凝集しにくくなります。このような性質によって、炭素80個からなる大きな分子にも関わらず、湾曲ナノグラフェンは様々な有機溶媒に対して高い溶解性をもちます(図1右)。さらに、溶液中に均一に分散した湾曲ナノグラフェンは、紫外光や青色光を照射すると緑色の蛍光を発します。同程度の大きさの平面状ナノグラフェンは、一般に蛍光発光性を示さないので、湾曲ナノグラフェンは既存のナノグラフェンとは異なる応用が期待されていました。

 まず、伊丹教授らのグループは、湾曲ナノグラフェンに様々な原子を取り付ける手法を確立しました。はじめに、湾曲ナノグラフェンの合成方法を改変し、外側の10カ所のベンゼン環のうち5ヶ所に炭素官能基のついた湾曲ナノグラフェンを合成しました。ここに、イリジウム触媒を用いたホウ素化反応を行うことで、残りの5ヶ所のベンゼン環にホウ素官能基を導入しました(図2)。ホウ素官能基は、2010年のノーベル化学賞で知られる「鈴木カップリング」を行うためのタグとして使えることがよく知られています。そのため、鈴木カップリングを用いることによって、ホウ素官能基を5つもつ湾曲ナノグラフェンに対して、望みの官能基を簡単に導入することができます。

 様々な置換基を導入できるようになったので、生命科学への応用を目指し、湾曲ナノグラフェンに水溶性を付与することを計画しました。水溶性の高い「エチレングリコール」部位を多くもつユニットを別途、合成し、ホウ素官能基を5つもつ湾曲ナノグラフェンとの鈴木カップリング反応をすることで、5つのホウ素官能基全てを「エチレングリコール」ユニットに置き換えることに成功しました(図2)。得られた湾曲ナノグラフェンは有機溶媒だけでなく水に対しても高い溶解性をもつ「水溶性湾曲ナノグラフェン」であることがわかりました。さらに水溶性湾曲ナノグラフェンが、高い光耐久性をもつこと、水溶液中でも蛍光を保持していること、溶媒の極性に応答して蛍光色が変化する性質をもつことがわかりました。これらの特性から、水溶性湾曲ナノグラフェンは細胞の蛍光染色に応用可能であると期待できます。

WSWNG_Fig2_JP.jpeg図2:水溶性湾曲ナノグラフェンの化学合成の経路および水溶性湾曲ナノグラフェンの蛍光

発光の様子(緑:ジクロロメタン溶液中、黄:水溶液中。石英セル中。紫外光照射下で撮影。)

  次に、得られた水溶性湾曲ナノグラフェンが細胞へ取り込まれる挙動や細胞内での蛍光発光性について、トランスフォーマティブ生命分子研究所のライブイメージングセンターにて詳しく調査しました。水溶性湾曲ナノグラフェンの水溶液をヒト培養細胞に加えると、数時間かけて細胞内に取り込まれ、リソソームという細胞小器官に蓄積する様子が蛍光顕微鏡によって観察できました。さらに、水溶性湾曲ナノグラフェンは蛍光観察ができる濃度で十分に毒性が低い一方で、水溶性湾曲ナノグラフェンを取り込んだヒト培養細胞にレーザー光を照射すると、その細胞だけが死滅することが分かりました。水溶性湾曲ナノグラフェンを取り込んだ細胞に対し、死んだ細胞を赤色に蛍光染色する色素(ヨウ化プロピジウム)の共存下で青色のレーザー光(波長489 nm)を18秒間照射して、その後の様子を観察しました。すると、30分程度で細胞が赤色蛍光を示し、形状も大きく変化したことから、細胞死が起きたことがわかります(図3)。水溶性湾曲ナノグラフェンを取り込んだ細胞に対しレーザー光を照射しなかった場合、および水溶性湾曲ナノグラフェンを取り込んでいない細胞にレーザー光を照射した場合のいずれにおいても細胞死が観察されなかったことから、細胞内に取り込まれた水溶性湾曲ナノグラフェンが光を吸収し、細胞死を誘導したと結論づけました。

 今回の細胞死誘導のメカニズムは分かっていませんが、水溶性湾曲ナノグラフェンは光照射によって水溶液中の酸素を活性酸素(一重項酸素)に効率的に変換できることから、細胞内においても同様に活性酸素を発生させ、これが細胞毒となって細胞死を引き起こしたと推察できます。光により細胞死を誘導する化合物はいくつも知られているものの、より安全に、かつ組織深部へも適用できるように、照射光の長波長化が求められています。今回のような大きな湾曲ナノカーボン分子は、化学修飾によって吸収する光の波長を変化させることが比較的容易であるため、今後の検討によってこのような問題は解決できると期待されます。

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図3:水溶性湾曲ナノグラフェン存在下での光刺激による細胞死の様子。(左)

レーザー光照射直後。白丸部分にレーザー光を照射。(右)照射30分後。

【成果の意義】

 本研究は、湾曲ナノグラフェンに様々な性質を簡単に付与できること、その一例として生命科学分野のツールとしての応用が可能であることを示しました。これは伊丹教授らのグループが推進する、ナノカーボンの構造をもつ分子を精密に合成する「分子ナノカーボン科学」の幅広い応用可能性を示す好例であり、今後の発展が期待されます。

 【用語説明】

※ナノグラフェン

 グラフェンシートをナノメートルサイズに切り出した構造をもつ物質の総称。作成方法は、グラフェンを切り出す「トップダウン法」と小さい有機分子から組み上げていく「ボトムアップ法」が知られる。

 

論文情報:

This article "A Water-soluble Warped Nanographene: Synthesis and Applications for Photo-induced Cell Death" by Hsing-An Lin, Yoshikatsu Sato, Yasutomo Segawa, Taishi Nishihara, Nagisa Sugimoto, Lawrence T. Scott, Tetsuya Higashiyama, Kenichiro Itami is published online in Angewandte Chemie International Edition

DOI: 10.1002/anie.201713387

リンク:

http://www.itbm.nagoya-u.ac.jp/ja_backup/research/20180131_WSWNG_Itami_JP_PressRelease_ITbM.png

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左から:伊丹 健一郎 教授、瀬川 泰知 特任准教授、Hsing-An Lin博士研究員、佐藤 良勝 特任准教授

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