名古屋大学 卓越大学院プログラム

トランスフォーマティブ化学生命融合研究大学院プログラム

Graduate Program of Transformative Chem-Bio Research

活動報告

2025年度GTR Research Awardインタビュー

GTR Research Awardは、融合研究の成果や異分野に挑戦する姿勢など、学生の研究への取り組みを総合して評価し、その年を代表するGTR生を顕彰する制度です。2025年度は、以下の6名にGTR Research Awardが贈られました。
今年度の受賞者に、融合研究の成果や研究に対する姿勢、GTRでの取り組みなどを聞きました。

2025年度GTR Research Award 受賞者インタビュー

黒田琉奈さん
理学研究科 理学専攻(物質・生命化学領域)博士後期課程1年

分子の変化する「一瞬」を見たい
強い光であるレーザー光を使い、目に見えない分子の動きを可視化する研究をしている。ターゲットは、右手と左手のように、鏡に映した関係にありながら重ね合わせることのできない構造をもつ「キラル分子」だ。これらの分子は化学反応の最中などに、傘が風で裏返るように、一瞬で「右手型」から「左手型」へ構造が反転してしまうことがある。形が変われば、薬としての効き目が変わったり、全く別の物質になってしまったりするため、構造の変化を捉えることはサイエンスにとって重要なテーマだ。
この「右手」と「左手」を見分けるため、らせん状に回転しながら進む光(円偏光)を当てて、飛び出してくる電子の方向の違いを見る「光電子円二色性(PECD)」という方法がある。従来の手法は高感度で見分けられる反面、電子が飛び出す過程が複雑すぎて、「なぜそうなるのか」というデータを読み解くのが難しいという課題があった。
そこで着目したのが、さらに強いレーザー光を当てた時に起こる「トンネルイオン化」という現象だ。実際に実験と理論計算を用いて検証した結果、この手法であれば、分子を取り巻く電子の雲(分子軌道)の形のみで説明できることが明らかになった。
「キラル分子の一瞬の動きを見るための有力なツールを一つ提案できたことが、今回の成果です」 最終的な目標は、キラル分子が右手型から左手型へと変化する瞬間を捉えること。得られたシンプルな結果を連続してつなぎ合わせれば、キラル分子が形を変えていく一瞬の動きを追うことができる。今回の手法は、そのための有力な手段になると考えている。

実験と理論の往復
実験と理論、双方からアプローチする研究スタイル。「実験系の研究室ですが、実際にやっていることは実験系と理論系が半々です。得られた結果を解釈するために、理論が必要になるので」。
実験によって得られたデータは、それだけでは意味を持たない。「意味」を見出すためには、様々な角度からデータを読み解く解析作業が必要で、最も長い時間を費やすのもこのプロセスだという。
最初は定石通りの解析手法を当てはめるが、それでは説明がつかない壁にぶつかることも多い。定石で無理だった場合や、実験だけでは限界が見えた時、理論計算をどう役立てて突破するか。「それを考えることが、実験と理論の両方を手がける研究者としての腕の見せ所なんだと思います」。

異分野の「面白い」に触れ、世界が広がる
所属する研究室は、化学と物理にまたがる基礎研究がメインだ。GTRで様々な分野の研究者と交流することが、自分たちの研究が他の分野や応用とどうつながるかを考えるきっかけになっていると話す。
「例えば生物系の学生との会話で、細胞にレーザーを当ててがん細胞を殺す研究があることを知りました。同じレーザーという道具を使っていても、基礎研究の研究室に閉じこもっていては、知らなかった世界です」。
また、学生同士のフラットな交流も刺激になっているという。自分の研究だけに没頭していると、どうしても「自分の研究こそ面白い」という視点に陥りがちだ。しかし、GTRで同年代の学生と話すことで、「この人は、ここが面白いと思ってこの研究しているんだ」という他者の視点や熱量に触れることができる。
「分野が違っても『面白い』ことはある。そう気づけたことで、より広いものに対して興味を持てるように、面白がれるようになりました」

複雑な現象の、シンプルな真実を確かめる
「光」に惹かれた原点は高校時代にある。物理の授業で、大型放射光施設(SPring-8)の強い光を使えば、複雑な分子の構造を原子レベルで明らかにすることができると知り衝撃を受けた。「見えないものが見える。強い光って面白い」。
子どものころから、複雑な自然現象も数式一つで説明できる物理や数学の「シンプルさ」が好きだったそうだ。「シンプルな数式で複雑なことを説明できたり、複雑そうなものが実はシンプルなモデルで表せたりすることに、面白さを感じます」。
見えないものを見ることは、複雑な現象の背後にあるシンプルな真実を確かめることでもある。この先も、「目に見えない分子を見る研究」を続けていきたいと話す。

(2025年12月インタビュー)


廣岡依里さん
理学研究科 理学専攻(生命理学領域) 博士後期課程2年

「がんは免疫細胞に食べられるとむしろ増える」意外な結果に手が震えた
ショウジョウバエを使って、がんの進行メカニズムと免疫の関係を研究している。
免疫細胞であるマクロファージは、通常、死んだ細胞を処理し、組織を守る役割を担う。ところが、実際のがん組織を観察し、予想とは全く異なる現象が起きていることを見つけた。がん組織の中で細胞死が起きると、マクロファージが集まってきて死んだがん細胞を食べる。すると、それをきっかけにマクロファージから特定の因子が分泌され、周りのがん細胞がものすごい勢いで増殖を始めたのだ。「食べられたら減るはずなのに、逆に増えている」。予想を覆す結果に、顕微鏡を覗きながら手が震えたという。
多角的な検証を重ね、この「マクロファージが死んだ細胞を食べると、逆にがんが増殖する」という現象を論文として発表した。
現在は、「がんは自分が増えるためにマクロファージを誘き寄せ、利用しているのではないか」という仮説のもと、さらに詳しい分子メカニズムを探っている。

「とりあえずやってみる」精神
研究室に配属される前の学部3年時、コロナ禍に見舞われ、講義やアルバイトがなくなった。時間ができて大学の図書館で本を読みふけっていた時、免疫細胞ががんにも影響するというコラムを見つけた。「すごく面白い現象。この研究をしてみたい」。研究室配属の際に「がんと免疫の研究がしたい」と自ら提案し、現在の研究をスタートさせた。
研究では「とりあえずやってみる」ことを大事にしているという。十分に文献を読み、可能性を検討したうえで、「やる価値がありそうなら一度試す」。考え続けて立ち止まるより、まず手を動かすことを心掛けている。
研究室にノウハウがない実験を、ゼロから立ち上げなければならないこともあった。PCRの条件検討一つとっても、教えてくれる先輩はいない。論文を片手に、見よう見真似で試行錯誤を繰り返す日々。朝から晩まで手を動かし、失敗してはやり直す。「とにかく回数を重ねて、力技で実験系を確立しました」。
こうした「とりあえずやってみる精神」と「がむしゃらに取り組めるところ」が、研究者としての自身の強みだと分析している。

「悔しさ」を原動力に、学生だけのチームで研究費を獲得
GTRのリトリート合宿では、専門の異なる学生同士がチームを組み、融合研究のアイデアを出し合う「異分野融合提案コンテスト」がある。そこで、工学や化学を専門とするメンバーと、「微生物の包括によるマイクロプラスチック分解可能な船底塗料の開発」というアイデアを提案した。
自信作だったが、コンテストでの結果は振るわなかった。「自分たちのアイデアに愛着があったので、これで終わるのが悔しくて」。チームメンバーに働きかけてアイデアをブラッシュアップし、企業の研究助成に応募。見事、採択を勝ち取った。
研究室では教員の指導のもとで研究が進むが、GTRでは学生だけでチームを組み、テーマ設定から計画、申請書作成までを自分たちで行う経験ができる。
「自分たちでもここまでできるんだという驚きがありましたが、とても嬉しく、貴重な経験でした」

やればやるだけ前に進む「ゾーン」の感覚
研究は、地道な作業の連続だ。ほとんどは、うまくいかないことばかり。それでも続けられるのは、研究が「やればやるだけ結果が出る世界」だからだという。
実験が佳境に入り、ひたすら手を動かしている時は「ゾーンに入っていたような感覚」だという。
「実験をすれば結果が出て、研究が前に進む。それが成果につながっていくのを実感できるのが嬉しい」
たとえ「今」が苦しくても、手を動かせば必ず何かが返ってくる。その手応えが、研究に向き合う原動力となっている。

(2025年12月インタビュー)


山ノ内勇斗さん
理学研究科 理学専攻(生命理学領域) 博士後期課程2年

生物の行動の一瞬を捉える
攻撃や求愛など、動物が見せる複雑な社会性行動。それを脳神経がどのように制御しているのかを解き明かすことは、神経生物学における重要な研究課題だ。今回、動物の社会性行動を精密に捉え、その行動に合わせてリアルタイムに神経活動を操作できる、独自のソフトウェアを開発した。
研究の最終目標は、交尾に関わる神経回路を明らかにすることだが、既存の解析ツールでは、複数個体が関わる行動をリアルタイムに検出し、実験操作と結びつけることが難しかった。
「それなら自分で作ってしまおう」
研究上の必要性に迫られたことがきっかけではあるが、動機はそれだけではない。持ち前の"ものづくり好き"な気質が、開発の原動力になった。「ボタンの配置や画面のデザインを自分で考えて、実装していく過程そのものも楽しかったです」。
また、従来の行動解析では、カメラで撮影した映像から、体の各部位を一つひとつ検出して追跡する手法が主流だった。しかし個体数が増えると計算量が膨大になり、リアルタイム性にも欠けていた。
そこで発想を変えて、個体の細部ではなく「見た目」全体の形状に着目することで、何十個体もの行動を同時に解析できる方法を実現した。計算負荷が小さいため、カメラ映像をリアルタイムで解析できる。さらに、動いているハエの特定の部位にピンポイントで光を当てるなど、実験系との同期も可能にした。このツールはショウジョウバエに限らず、様々な動物の行動研究に応用可能なプラットフォームとして期待されている。

「作ること」も研究の一部
もともと神経回路や行動に関心を持って生物学の道に進んだが、工学や物理への興味も強かった。現在所属する研究室には、既製の装置に頼るのではなく、観察容器や計測系そのものを自作する文化がある。「生き物の研究をしに来たけど、電気回路やプログラミングもやる、という環境。ものづくりも研究の一部です」。実験系を一から組み立てていく過程そのものが、研究の面白さになっているという。
とはいえ、本格的なソフトウェア開発は初めての経験だった。最初から完成形を目指したわけではなく、既存の機械学習のパッケージを試しに使い、うまくいった部分を少しずつ拡張していった。
人間や動物の行動解析に関する学会で情報系のセッションをのぞいたり、インターネットや生成AIを活用したりしながら、断片的な知識を積み重ねていった。情報学の研究者が集まる学会にも足を運び、雑談の中からヒントを得ることも多かったという。
「自分で使いながら、あったらいいなあと気づいた機能をすぐに実装できるのが、自前で作る一番の利点です」

「つくってみよう精神」で、研究コミュニティも開拓
「必要なものがなければ作る」という精神は、ツール開発だけでなく、研究コミュニティにも発揮されている。研究活動と並行して、若手研究者仲間とともに新たな研究会「システム行動学研究会」の立ち上げにも挑戦した。
既存の学会では、交尾行動や行動解析の研究を発表しても、どこか「アウェイ感」があったという。神経科学、行動学、進化学、情報学と分野が細分化され、どこにも完全には当てはまらない。
「ドンピシャの学会がないなら、作ってしまえばいい」
同じように神経と行動をつなぐ研究をしている若手研究者と新たな研究会を立ち上げ、運営の資金を集めるため、クラウドファンディングにも取り組んだ。「若い世代でも、こういうことができると示せたのは大きかったと思います」。
研究会は、当初の想定を超え、シニアから若手まで約200人規模が集まる。参加者の専門は、生態学や神経行動学に加え、情報学やロボティクスまで多岐にわたっている。行動をキーワードに集まることで、分野横断的な技術共有や議論が生まれた。
持ち前の「つくってみよう精神」とフットワークの軽さを武器に、GTRが目指す分野を超えたコミュニティ形成を、自らのフィールドでも実践している。
将来は、海外で研究を続けることも視野に入れている。技術や知識だけでなく、世界トップレベルの研究室の空気感や研究者のメンタリティを肌で感じたいと話す。

(2025年12月インタビュー)


桑山翔悟さん
理学研究科 理学専攻(生命理学領域) 博士後期課程2年

気孔の謎に化合物で挑む
植物の葉の表面1ミリ四方に100個以上ある微小な孔、「気孔」の研究をしている。気孔は、二酸化炭素の取り込みや水分の蒸散を担い、光合成や環境応答の要ともいえる存在だ。
高校では登山部に所属し、過酷な高山帯でたくましく生きる植物を見て、「なぜ、こんな環境で生きていけるのか」と生存戦略の不思議さに惹かれたことが、この研究分野に入るきっかけの一つだという。
これまで、気孔の研究は遺伝子を操作する手法が主流だった。しかし、気孔の開閉には多くの遺伝子やタンパク質が複雑に関わっているため、一つを壊しても他が機能を補って変化が出なかったり、逆に植物が死んでしまったりする課題があった。そこで、化学の力で生命現象を解き明かす「ケミカルバイオロジー」の手法でこの課題に挑んでいる。気孔の開閉に影響を与える化合物を用いて、気孔が制御される仕組みを探るアプローチだ。
「化合物なら、似た働きをするタンパク質をまとめて一時的に阻害できるし、致死的な影響も回避できる。そこが利点です」
具体的には、気孔を動かすエンジン「プロトンポンプ」に着目。構造を変えた化合物を自分の手で何種類も合成し、それでプロトンポンプの活性がどう変わるかを調べた。さらに、その化合物がどんなタンパク質にくっついてプロトンポンプに信号を伝えるのか、研究を進めている。

植物研究と有機合成、二刀流で気孔に迫る
自身の強みを、「いろんなことを学ぶことに躊躇がない。学びたい意欲が強い」と分析する。生物学専攻の大学院生でありながら、化学科の学部生向けの有機化学の講義を一年かけて履修。基礎から化学を学びなおした。
「例えば、化合物の合成を指導してもらっている教官と議論していて、分子の電子的な性質について理解が追いつかない場面がありました。基礎概念をきちんと理解していないと、本質的な議論ができない。そう痛感して、一から勉強しなおそうと思いました」。
研究に使う化合物は、他の人に作ってもらって使うのではなく、自分で合成する。化合物の構造を少し変えるだけで、気孔を制御する活性は大きく変化することもある。「自分で合成まで手掛けることで、『これは植物に浸透しやすそうだ』『この構造は少し注意が必要だ』など、生物学だけでは気づけなかった視点を持てるようになりました」。
名古屋大学のトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)は、同じフロアに化学と生物の研究室が同居している。自身も、植物の研究室に所属しながら化学系の研究室にも通い、化合物の合成もする。「自分で合成した化合物を、建物一つ挟んで歩いて行ける実験室へ運び、すぐに植物に試すことができる。こんな贅沢なことができる環境は、なかなかないと思います」。

研究を「俯瞰する視点」を養う
GTRの学生が主体となってイベントなどの企画を行う、「院生企画」の運営にも携わっている。2025年4月には、フィールドワークの院生企画に企画者として参加した。
「フィールドワークを取り入れた講義を、講義のデザインからみんなで議論して作れたのは面白い経験でした。フィールドワークの講義では、普段見ている顕微鏡レベルの世界から離れて、植物が実際に置かれている複雑な自然界を忘れない視点も大切だと思いました」
また、ITbMのアウトリーチ活動で、高校生向けの研究紹介や一般市民向けのイベントにも参加した。そういった場で交わされる対話もまた、研究に対する新たな気づきのきっかけになっているという。
「普段は、どうしても目の前の実験がうまくいかない理由などに集中してしまい、視野が狭くなりがちです。でも、うまくいかない理由を研究するために研究者になったわけではない。専門外の人からの素朴な質問は根本的で、自分がいつの間にか『当たり前』だと思いこんでいたことを、改めて問い直すきっかけになります」

生物学に軸足を置きながら、合成の議論もできる研究者に
2025年秋には米国の研究室への留学も経験した。多様性に富んだラボ、そしてスピーディーな研究の進め方に刺激を受けた。
「留学先では、研究者と現地の農家が密に連携し、研究成果が驚くスピードで現場に実装されていました」
自分の研究を、実際の農業の現場で役立つ形に落とし込みたいという思いが強くなったという。
同時に、化合物と植物の関係をより深く探りたいという思いもある。「生物学に軸足を置きながら、合成もきちんと議論できる研究者になりたい」。
より良い化合物をどう合成するか、そしてそれを植物にどう与えるのが効果的か。応用方面の知識や視点を養いながら、その手法を探求したいと考えている。

(2025年12月インタビュー)


大津岳士さん
工学研究科 応用物質化学専攻 博士後期課程1年

エンジン改良と規制強化で触媒に要求される新たな課題に挑む
分子レベルの微細な穴を無数に持つ「ゼオライト」と呼ばれる材料を使った触媒の研究に取り組んでいる。研究の応用先は、自動車や船舶のエンジンなどから排出される有害ガスの浄化だ。ターゲットとなるのは、光化学スモッグや人体への影響が懸念される窒素系の物質、窒素酸化物(NOx)や一酸化二窒素(N2O)だ。これらを無害な窒素などに変えて排出することは、長年の課題だった。これまで様々な削減の仕組みが実装されてきたが、近年、エンジンの進化に伴って新たな難問が浮上している。燃費向上のためにエンジンが改良された結果、排ガスの温度が上がりにくくなったのだ。従来の触媒は高温でなければ性能を発揮できないものが多く、規制の強化も重なりエンジン始動直後などの低温時には、浄化が追いつかないという問題が生じていた。
この解決策の一つに、低温時にNOxを一時的にためる「吸着材料」の導入が挙げられるが、実際の排ガス中には酸素や水分など様々な成分が含まれており、それらが複雑に影響し合うため、実用化は容易ではない。
そこで、ゼオライトを使った吸着材料で、実環境下で何が起きているのかを解析。共存成分が反応に及ぼすメカニズムを解明することで、従来技術では難しかった低温域(200℃以下)からの排出抑制に道筋をつけたのが、今回の研究成果だ。
さらに、NOx分解の副生成物として生じるN2Oにも目を向ける。N2Oは人体への直接的影響は小さいものの、温室効果は二酸化炭素の約300倍とされる。現在は、N2O分解触媒の開発に取り組み、「ゼロエミッション」の実現を目指して研究を進めている。

「こだわりの無さ、臨機応変」が強み
触媒研究の世界は、「基本はトライ&エラー」だという。膨大な数の材料を試し、最適な組み合わせを探り当てる地道な作業だ。だが、やみくもに試すわけではない。むしろ、「他の人が見落としている条件や、通常は無視される条件にあえて目を向けて、それをさらに突き詰める」。そして、「たまたま見つけた現象を見逃さない」。その「目」が重要だという。
たとえば、排ガスに含まれる酸素や水分などの共存成分は、一般的には反応を阻害する複雑な要素と見られがちだ。しかし、「ある条件下では逆にプラスの影響を与えるのではないか」と仮説を立て、周囲が見落としていた条件を丹念に拾い上げた結果、予想外の高い性能を引き出すことに成功した。
研究者としての強みを、「こだわりの無さ、臨機応変にふらふらと動けること」と自己分析する。常識や定説に固執しない「こだわりの無さ」が、トライ&エラーの中から「隙間」を突くチャンスを生み出している。

企業とも対等に渡り合うバランス感覚
排ガスをターゲットにした触媒研究は、自動車メーカーなどが加わる技術研究組合との融合研究だ。研究室では、こうした企業との共同研究プロジェクトが多い。
研究の進め方について、企業の研究者と交渉することも日常茶飯事だ。企業からの要望はシビアだが、ただ従うだけの「御用聞き」にはならないよう気を付けているという。「相手の要望はいったん『はい』と受け止めますが、そのままやるわけではありません」。実験のプロセスや最終的な落としどころは、自分の研究方針に合わせて調整し、結果的に双方が納得する成果を出す。
自分の考えをどう主張すると受け入れられやすいか考える。そんなバランス感覚も必要だ。
「研究に対して、軸を持って対応する。全てに『わかりました』と言うイエスマンが望まれているわけでもない。研究について対等にディスカッションができることが重要です」

「時間」と「量」で泥臭く挑む
所属する研究室は、学生が15人在籍するが、博士後期課程の学生は自分ひとり、上には教授と講師しかいない。「おかげで好き勝手させてもらっています」と笑う。
研究プロジェクトを自身の裁量で動かしたり、実験系を自分で改良したりする自由がある一方で、後輩の外部出張に付き合うなど、自分の研究時間を研究室の運営に割く場面も多い。しかし、その裁量の大きさを、「自由度の高さ」として楽しんでもいる。
現時点では、将来の進路は企業ではなくアカデミアを考えているという。「自分には天才的なひらめきや能力があるわけではないので、時間と量でカバーするしかない。そうなると、労働基準法で時間の使い方に制約がある企業は相性が悪そう」。時間を投資し、泥臭く成果を積み上げられる環境の方が、自分の戦い方に合っていると分析している。

(2025年12月インタビュー)


森田海斗さん
創薬科学研究科 基盤創薬学専攻 博士後期課程2年

新しい合成経路を開拓する
アトピー性皮膚炎の治療薬「デルゴシチニブ」は、飲むのではなく塗って使える初めての薬剤として2020年に承認された。高い効果を発揮しながら副作用を抑えた画期的な薬だ。
デルゴシチニブは、スピロ骨格と呼ばれる特殊な分子構造を持ち、二つのリング状の構造が一つの原子を共有してつながっている。この骨格は合成が難しく、合成例は世界的にもほとんど報告がなかった。
そこで、既存の手法とは全く異なる、新しい合成ルートを確立する研究に取り組んだ。
「その薬を作る合成ルートが一つしかないと、例えば使っている原料が不足した際、薬の供給が止まってしまう恐れがあります。別の合成経路を開発することは、より安価で安定した薬の供給につながります」。
手がかりは、世界で一例だけ報告されていた類似骨格に関する文献だった。「これを使えばいけるはずだ」。そう仮説を立てて着手したものの、当初は狙いとは全く異なる化合物が生成されてしまったという。
なぜうまくいかないのか。反応の溶媒が悪いのか、構造の一部に問題があるのか。原因を突き止めるため、条件を少しずつ変えながら可能性をしらみつぶしに検証した。
「自分で立てた、自信のある仮説を証明するための作業だったので、精神的にきついとは思いませんでした」
条件を変えながら4か月ほどかけて粘り強く可能性を試し、ようやく目的とする合成経路を確立。二つの異なる立体構造を選択的に作り分けることにも成功した。
この成果の意義は、単に一つの医薬品を作れるようになったことにとどまらない。同様の骨格を持つ化合物群に応用可能な新しい合成法として、医薬品のみならず農薬や合成化学分野など、幅広い展開が期待される。

企業との融合研究で広がった視野
デルゴシチニブの研究は、製薬企業との融合研究として進められた。週に一度、企業側のメンターとオンラインで議論を重ね、数か月に一度は毒性評価などの担当者も交えたミーティングでプレゼンテーションを行った。大学の研究室とは異なる視点とスピード感に刺激を受ける日々だったという。
大学では、反応がうまくいかない理由を徹底的に突き詰める。一方、企業では「うまくいく方法で素早く前に進める」ことが重視された。その違いを体感することで、研究に対する視野が広がったという。
安全性とコストへの視点も厳しかった。「たとえフラスコの中で成功しても、工場で爆発の危険がある試薬や、大量の電力を消費するような条件は採用できない」。企業側からの「それでは工業化できない」という指摘に、合成ルートの変更を余儀なくされたこともあったそうだ。
しかし、その制約の中で最適解を探すプロセスが、実用化を見据えた多角的な視点を養うことにつながったと話す。

合成化学の醍醐味
高校時代から科学部に所属し、学部では化学だけでなく生物も学んだ。生物学が存在する生命現象を解き明かす学問だとすれば、化学は自ら分子を設計し形にできる学問だ。
「頭の中で描いた構造を、実験によって現実の物質として生み出せる点に大きな魅力を感じます」
化学を志した原点は、「全合成」への強い憧れだったという。全合成は、単純な原料をつなぎ合わせ、複雑な天然物を人工的に作り上げる合成化学の技術の一つだ。
現在の研究室を選んだ理由も、その合成プロセスの「美しさ」にあったという。複雑な構造の天然物を、比較的単純な有機化合物からスマートに組み上げていく。その手法に「かっこいい」と感銘を受けたことがきっかけだった。
デルゴシチニブの研究が一区切りついた現在は、化学に惹かれた当初の憧れをより深く追求するような挑戦的なテーマに取り組んでいる。
既存の合成法では到達できないような、新しい骨格を持つ化合物を一から設計し合成する研究だ。似た化合物は存在していても、今知られている作り方では絶対に作れない。そんな分子に挑むことが、合成化学の醍醐味だと話す。

専門性を越えて活きる「研究者としての土台」
将来は化学メーカーで、異なる分野を融合させた新しいものづくりに携わりたいと考えている。そうした進路選択の背景には、GTRでの経験があるという。
「GTRでは、他分野の研究者とのつながり、巻き込み、活用する力や、未知の分野に出会っても『こうすれば理解できる』という異分野理解の方法を体得できました。こうした経験をより活かせるのは企業だと思いました」
企業との融合研究やGTRで知った、異分野の研究者とつながる面白さ。合成化学の研究で培った粘り強さ。これらを武器に、新たな価値を生み出すことに挑戦していきたいと話す。
「有機合成の知識や職人的な技術はもちろんですが、それらを修得する過程で培った、自ら問いを立て解決への道筋を描く力は、専門分野に縛られずに活かせるものだと思っています」

(2025年11月インタビュー)