研究ハイライト

概日時計タンパク質を操作する ~悪性の脳腫瘍の治療に新たな分子標的~

 国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の廣田 毅 特任准教授とサイモン ミラー 元研究員、南カリフォルニア大学(アメリカ)のスティーブ ケイ 教授、ITbMのフロハンス タマ 教授らの研究グループは、悪性の脳腫瘍であるグリオブラストーマの治療薬の候補が、概日時計を構成するタンパク質であるCRY2に選択的に作用することを発見し、その仕組みを明らかにしました。さらに、より強い効果をもつ化合物を見出すことにも成功しました。

 グリオブラストーマは脳腫瘍のなかで最も予後の悪い難治性の悪性腫瘍で、新たな治療法の開発が望まれています。本研究から、CRY2が有力な分子標的であることが分かりました。現代社会における概日時計の乱れは、睡眠障害やがん、代謝疾患などの病気に繋がることが知られています。今後、グリオブラストーマだけでなく様々な病気とCRY2との連関が解明され、新たな治療法の開発に発展することが期待されます。

 本研究成果は、2022年9月27日付アメリカ科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences」に掲載されました。


【ポイント】

・悪性脳腫瘍のグリオブラストーマ治療薬の候補が、概日時計タンパク質のCRY2に選択的に作用することを発見した。

・この化合物とCRY2の相互作用様式を解明し、選択性を生み出す仕組みを明らかにした。

・相互作用様式の解析から、より強い効果をもつ化合物を見出した。


【研究背景】

 朝目覚めて、夜眠るというように、私たちの生命活動の多くは1日の周期で繰り返します。これらのリズムを司る体内の仕組みを概日時計と呼びます。概日時計は、時計遺伝子ならびに時計タンパク質 注1)の相互作用によって構成されており、CRY1とCRY2は中心的な役割を果たす時計タンパク質です。概日時計が正常に機能することは生体の恒常性の維持に重要であり、その機能障害は様々な病気に関連することが知られています。例えば、ヒトではCRY1およびCRY2遺伝子の変異が睡眠時刻のズレを引き起こし、マウスでCry1およびCry2遺伝子を欠損させると血糖値異常になります。そのため、CRY1やCRY2に作用する化合物は、睡眠リズム障害や糖尿病に対する治療薬の候補になると期待されます。

 研究グループはCRYタンパク質を標的とする化合物を世界で初めて発見し、KL001と名付けました。KL001はCRY1とCRY2の両方と相互作用し、その分解を抑制することで、概日リズムの周期を延長します。さらに、培養したマウス肝臓の細胞において糖の合成を抑制することから、糖尿病治療への応用の可能性が示されました。これらの知見に基づいて、経口投与が可能なKL001の誘導体としてSHP656がアメリカのグループによって開発されました。SHP656は糖尿病のマウスにおいて血糖値を低下させ、動物モデルにおける有効性を実証しました。さらに研究グループは、致死性の脳腫瘍を引き起こすグリオブラストーマ幹細胞(GSC)注2)の増殖をSHP656が抑制し、患者由来のGSCを移植したマウスの生存期間を延長することを見出しました。このようにSHP656は糖尿病やグリオブラストーマの治療に新しい方向性をもたらす可能性があります。

 CRY1とCRY2は非常によく似たタンパク質であり、同等の働きをもつと考えられてきました。しかし、これらのアイソフォーム 注3)にはそれぞれ異なる役割もあることが次第に明らかになっています。そのため、CRY1とCRY2の役割分担を明らかにし、それぞれのアイソフォームを個別に制御できる選択的な化合物が有用です。SHP656は、CRY1とCRY2の両方を標的とするKL001の誘導体であることもあり、そのアイソフォーム選択性はこれまで研究されていませんでした。グリオブラストーマや他の疾患モデルにおけるCRY1とCRY2の役割を理解するためには、SHP656のアイソフォーム選択性を解明することが必要でした。


【研究内容】

 今回、研究グループはSHP656の作用メカニズムを詳細に解析しました。ヒト培養細胞の概日リズムの解析から、SHP656はKL001と同様にリズム周期を延長することが分かりました。続いてCRY1とCRY2のそれぞれに対する作用を解析したところ、意外にもSHP656はCRY2に選択性を示すことが明らかになりました。すなわち、SHP656はCRY1よりもCRY2に強く相互作用し(図1)、細胞内での分解を抑制しました。さらに、SHP656がリズム周期を延長する効果はCry2をノックアウトした細胞において大幅に低下し、SHP656の作用はCRY2を介していることが分かりました。

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図1:CRY1およびCRY2と化合物の相互作用 KL001(青)はCRY1(左)とCRY2(右)の両方に相互作用するのに対し、SHP656(赤)はCRY1との相互作用が弱く、CRY2に選択性を示す。DMSO(黒)はKL001やSHP656が入っていないコントロール。



 次に研究グループは、KL001に似ているSHP656がなぜCRY2選択性を示すのかを明らかにするため、CRY2とSHP656の相互作用をX線結晶構造解析 注4)によって原子レベルで解析しました。その結果、SHP656がCRY2の417番目のトリプトファン残基(W417)との間に相互作用を形成することが判明しました(図2)。興味深いことに研究グループは以前、このW417の向きがCRY1とCRY2の間で異なり、化合物の選択性を決める重要部位であることを発見し、ゲートキーパーと名付けました。 (名古屋大学研究成果発信サイト 2021年6月28日付 https://www.nagoya-u.ac.jp/researchinfo/result/2021/06/post-18.html )

 分子動力学シミュレーション 注5)によって、SHP656とゲートキーパーの相互作用が安定して存在することが分かり、これがCRY2への選択性に関与すると考えられました。


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図2:CRY2とSHP656の複合体の結晶構造 SHP556(水色)と相互作用しているCRY2のアミノ酸残基(白)を示した。SHP656の上部とゲートキーパー(W417)の間にユニークな相互作用が見られ、これが選択性を決定していた。



 CRY2のゲートキーパーは424番目のフェニルアラニン残基(F424)と相互作用しており、これによって向きが決まると考えられます。F424と隣のF423をあわせてアラニンに置換することでゲートキーパーとの相互作用を阻害したCRY2変異体(F423A/F424A)は、他の化合物に対する選択性が逆転することを研究グループは見出していました。そこで、このCRY2変異体を用いてSHP656が概日リズムに与える影響を解析した結果、SHP656による周期延長は野生型のCRY2と比べて大幅に低下しました。すなわち、ゲートキーパーの向きと相互作用がSHP656の選択性を決定することが明らかになりました。

 また、SHP656はR体とS体のラセミ混合物注6)ですが(図3)、CRY2との複合体の結晶構造にはR体のみが存在しました(図2)。そのため、R体が活性型であると考えられました。R体(SHP1703)とS体(SHP1704)をそれぞれ合成して解析した結果、R体の方がS体よりも10倍以上高い活性を示すことが判明しました。その上、CRY2とSHP1703の複合体の結晶構造はCRY2-SHP656と一致しました。以上の解析から、より強い効果を持つ化合物SHP1703を見出すことに成功しました。

 

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図3:SHP656(左)およびそのR体(SHP1703、中央)とS体(SHP1704、右)の構造 SHP1703はSHP1704よりも高い活性を示した。



 研究グループはさらに、患者由来のグリオブラストーマ幹細胞(GSC)を培養してSHP1703とSHP1704が与える影響を解析しました。その結果、SHP1703がSHP1704よりも強くGSCの増殖を抑制したこと、および、分化したグリオブラストーマ細胞においてはSHP1703の効果が弱まったことから、SHP1703はGSCに特異的で強力な化合物であることが分かりました。


今後の展望

 グリオブラストーマの治療が非常に困難である理由として、腫瘍の外科的な切除後の治療法である化学療法と放射線療法の両方に対して、GSCが抵抗性を示すことが挙げられます。SHP656はGSCの増殖を特異的に抑制するため、有効な治療法になると期待されます。今回の研究によってSHP656がCRY2に選択性を示すことが明らかになり、CRY2がグリオブラストーマ治療の有力な分子標的であることが示されました。今後、グリオブラストーマを始め、睡眠障害や代謝疾患など、CRY2が関与する病気の治療に向けた起点となることが期待されます。

 本研究は、文部科学省 世界トップレベル研究拠点プログラム 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)、科学研究費助成事業 基盤研究(A)(21H04766)、基盤研究(B)(18H02402)、挑戦的研究(萌芽)(20K21269)、武田科学振興財団 ライフサイエンス研究継続助成、上原記念生命科学財団 研究奨励金、東京生化学研究会 研究助成金、日立財団 倉田奨励金などの支援のもとで行われたものです。


【用語説明】

注1) 時計遺伝子ならびに時計タンパク質:

 概日時計が働くために必要な遺伝子とタンパク質。哺乳類においてはCRY1、CRY2、PER1、PER2、CLOCK、BMAL1の6種類が知られている。これらの遺伝子やタンパク質の機能制御が概日時計の働きに重要な役割を果たすと考えられている。

注2) グリオブラストーマ幹細胞(GSC):

 悪性の脳腫瘍であるグリオブラストーマを生み出す元となる細胞。既存の抗がん剤や放射線に対して抵抗性を示し、グリオブラストーマの治療を困難にしている。

注3) アイソフォーム:

 あるタンパク質と基本的に同様の機能をもつが、構造の一部(主に機能に関係ない部分のアミノ酸配列)は異なるようなタンパク質のこと。

注4)X線結晶構造解析:

 結晶にX線を照射し、その回折像を見て分子の3次元構造を明らかにする手法。本研究ではSPring-8ならびに高エネルギー加速器研究機構の大型放射光施設を用いて実験を行った。

注5) 分子動力学シミュレーション:

 一定時間における原子の動きと相互作用を解析するコンピューターシミュレーション。X線結晶構造がスナップショットであるのに対し、分子動力学シミュレーションでは動態を解析できる。

注5) ラセミ混合物:

 化学構造が鏡像の関係にある2種類の光学異性体(R体とS体)が等量存在している混合物。