研究ハイライト

近赤外領域で狭帯蛍光を示す安定なカチオン性分子を開発 ~アズレンによる新たな安定化および機能化法を確立~

【ポイント】

・近赤外領域注1)で蛍光を示す分子の開発には、新たな分子骨格の設計法が必要である。

・非ベンゼノイド芳香族注2)のアズレン注3)の組み込みと、ケイ素原子による分子骨格の平面固定化により、カチオン注4)性π共役分子の高度な安定化を実現した。

・得られたカチオン性分子が凝集することで、近赤外領域にシャープな吸収および蛍光が発現することを実証した。


【研究概要】

 国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院理学研究科の村井 征史 准教授とトランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の山口 茂弘 教授らの研究グループは、新たな分子骨格を用いて凝集することで近赤外領域に狭い蛍光帯を示す、高度に安定化されたカチオン性分子の開発に成功しました。

 800 nmを超える近赤外領域で発光する有機分子の開発は、ヘルスケア用途に応用可能なオプトエレクトロニクス材料注5)や、生命科学研究の基盤技術の蛍光イメージングの進展において強く求められています。しかし、そのような特性をもつ分子の報告例は限られており、新たな分子骨格の設計法の確立が必要とされてきました。

 本研究では、非ベンゼンノイド芳香族のアズレンの導入と、分子骨格の平面固定化により、高い化学安定性をもつカチオン性分子を作ることに成功しました。さらに、この分子が、溶液中で凝集すると近赤外領域に極度に狭い蛍光帯を示すことを見出しました。今回の分子設計法は、多彩なカチオン性近赤外発光材料の創出に繋がると期待されます。

 本研究成果は、2022年10月28日付アメリカ化学雑誌「Journal of the American Chemical Society」オンライン版に掲載されました。


【研究背景】

 近赤外領域で発光する有機分子の開発は、ヘルスケア用途に応用可能なオプトエレクトロニクス材料や、生命科学研究の基盤技術の蛍光イメージングの進展において強く求められています。しかし、そのような特性をもつ分子の報告例は限られており、新たな分子骨格の設計法の確立が必要とされてきました。 これまで有望な分子骨格とされてきたのが、正電荷をもつカチオン性π共役骨格注6)です。実用性の観点では、いかに正電荷を安定化できるかが鍵であり、カチオン性π骨格のモチーフとしては、より安定な第三級カルボカチオン種注7)のトリチルカチオンが多く用いられてきました。一方、π共役を1次元方向へ伸長した第二級カルボカチオン種は、安定性はトリチルカチオンには劣りますが、大きな遷移双極子モーメント注8)をもつため、より強い発光特性の発現を期待することができます。しかし、第二級カルボカチオン種の安定化には、シアニン系色素のように、電子供与性の窒素または酸素原子を含む官能基を分子骨格の末端に導入することがこれまで必須でした(図1)。


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図1. (a)第三級カルボカチオン種、(b)シアニン系色素、(c)電子供与性のアミノ基によって安定化されたカチオン種の構造。


【研究内容】

 本研究では、この「電子供与性官能基による安定化」とは異なり、「分極し得る非ベンゼノイド芳香族による安定化」に基づくカチオン性π共役化合物の合成に成功しました。ここで非ベンゼノイド骨格として注目したのが、炭化水素でありながら特異な双性イオン注9)型の共鳴構造の寄与をもつアズレンです。このアズレン環を炭素カチオン中心に2つ連結した第二級カルボカチオン種を、ケイ素原子で架橋し、平面固定化したジアズレノメチルカチオン(Az-PF6, Az-SO4)を設計し、その合成を達成しました(図2a)。この分子は、正電荷が高度に非局在化注10)される結果、酸素原子で架橋したトリチルカチオン種と同等の高い化学的安定性を示し、また、650 nm付近の深赤色領域に強い吸収帯を示しました(図2c)。

 この分子の特徴の一つとして、2つのアズレン環と中央のメチン部位からなる湾曲した分子骨格に、対アニオンがはまり込んだ構造をとることが挙げられます。結晶状態では、ケイ素架橋部位や対アニオンのかさ高さを反映し、隣り合う分子が大きくずれて積層した構造をとることを見出しました(図2b)。この大きくずれた積層により遷移双極子モーメントが強まる結果、結晶状態では、希薄溶液中と異なる強い吸収帯が800 nmを超える近赤外領域に観測されました。同様の近赤外領域の吸収帯は、溶液中で会合注11)体を形成した際にも確認でき、結晶状態での積層構造を反映したJ会合体注12)の形成が示唆されました(図2c)。ケイ素上の置換基や対アニオンを変えることで、このJ会合体の吸収波長は調整でき、特に、長鎖アルキル基の導入により、850 nmに達する近赤外蛍光も観測することができました。


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図2. ケイ素架橋ジアズレニルメチルカチオン(Az-PF6, Az-SO4)の(a)構造、(b)Az-PF6の隣接する分子が大きくずれて積層した結晶状態での構造、(c)Az-SO4の溶液中(破線)と会合状態(実線)における吸収(青線)および蛍光スペクトル(赤線)。


【成果の意義】

 今回の成果は、「分極し得る非ベンゼノイド芳香族の導入」が、カチオン性π共役化合物の安定化の戦略として有効であり、それにより、近赤外吸収や蛍光特性を発現させられることを示したことにあります。800 nmを超える近赤外領域はヘモグロビンや水による吸収の影響が小さく、細胞組織透過性が高いことから生体の窓とよばれています。そのため、生体イメージングだけでなく、光線力学療法や光熱療法をはじめとする診療分野でも注目を集めている領域です。今回開発した色素は、光熱変換材料や蛍光プローブの他、発光ダイオード等へも応用可能な、多彩な物質群の創製に繋がるものと期待されます。

 

 本研究は、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CREST「励起ダイナミクス制御に基づく光機能性ヘテロπ電子系の創製」(2021~2026年度)、および日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤C)「アズレンの触媒的自在官能基化を鍵とする新奇π共役系分子材料の開発」(2016~2019年度)の支援のもとで行われたものです。

 

【用語説明】

注1) 近赤外領域:

 可視光より長波長の電磁波の中で、波数12500~4000 cm-1(波長800~2500 nm)の光。

注2) 非ベンゼノイド芳香族:

 ベンゼン環をもたない環状分子の中で、芳香族性をもつものの総称。

注3) アズレン:

 7員環と5員環が縮環した構造をもつ分子。濃青色を呈する分子であり、生理活性をもつなど、構造異性体にあたる2つの6員環が縮環したナフタレンとは大きく異なる性質をもっている。

注4) カチオン:

 正電荷をもつ化学種。この内、炭素原子上に正電荷をもつ化学種を特にカルボカチオンとよぶ。

注5) オプトエレクトロニクス材料:

 物質がもつ光学的な特性が応用された電子機器の総称。光通信やレーザーを応用した計測・加工・医療をはじめ、産学の多岐に渡る分野で広く応用されている。

注6) π共役骨格:

 二重結合や三重結合などの不飽和結合と単結合の繰り返しが連なった構造をもつ骨格。

注7) 第三級カルボカチオン種:

 カルボカチオンの内、炭素上の置換基がいずれも水素ではない化学種。

注8) 遷移双極子モーメント:

 ある電子状態から異なる電子状態へ遷移する際に生じる、電荷の偏りの変化量。

注9) 双性イオン:

 分子内に正電荷と負電荷の両方をもつ化学種。

注10) 非局在化:

 π共役化合物において、電子が一つの結合上に局在せず、共役骨格全体に分散して広がること。

注11) 会合:

 複数の分子が集まっている状態。

注12) J会合体:

 遷移双極子モーメントを同一方向に揃えて、分子が会合した集合体。単分散の状態の分子と比較して、観測される吸収極大波長が低エネルギー側に移動するとともに、吸収帯が鋭くなることが多い。