研究ハイライト

カーボンナノリングのキーホルダー式固定化法の開発 〜金属イオンとの相互作用による機能性材料の創製に期待〜

【ポイント】

・機能性分子カーボンナノリングの新たな固定化・修飾法を開発。

・2つのリング分子が空間的につながった「カテナン注1)構造」の形成により、さまざまな分子構造に対してカーボンナノリングを「キーホルダーのようにぶら下げる」ことに成功。

・カテナン構造を活かして、金属イオンとの近接によるカーボンナノリングのリン光の長寿命化にも成功。新たなリン光材料の創製につながる成果。


【研究概要】

 国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の伊丹 健一郎 教授、八木 亜樹子 特任准教授、同大学院理学研究科の石橋 弥泰 博士後期課程学生らは、九州大学大学院工学研究院の君塚 信夫 教授との共同研究で、カーボンナノリングに他の大環状分子注2)をキーホルダーのようにぶら下げることで、カーボンナノリングの新たな固定化・修飾法を開発しました。

 カーボンナノリングは短いカーボンナノチューブと呼べる構造をもつ分子群で、特異な環状構造に由来したユニークな性質をもつことから、機能性材料としての活用が期待されています。カーボンナノリングを応用するためには、構造修飾や固定化を行う必要がありますが、その手法は限られていました。また、一般的に行われている共有結合を介した直接修飾や固定化では、カーボンナノリングの構造が変化し、性質を不本意に変化させてしまうという問題がありました。

 本研究では、Active Metal Template (AMT)法注3)という戦略を用いてカテナン構造を形成することで、共有結合を介することなくカーボンナノリングに対し他の大環状分子を簡便に固定化させる「キーホルダー式」手法を開発しました。この手法により、カーボンナノリングの構造を変えずに様々な分子構造をつなぐことができます。また、カテナン構造を活かして金属イオンと相互作用させることにより、カーボンナノリングの示すリン光の長寿命化にも成功しました。このことから、本研究成果は新規リン光材料の創製や励起三重項を活用した化学の発展につながると言えます。

 本研究成果は、2023年8月31日付ドイツ化学会誌「Angewandte Chemie International Edition」のオンライン速報版に掲載されました。


【研究背景】

 カーボンナノリングは、ベンゼン環注4)などの芳香環が環状につながった構造をもつ分子群です。炭素材料であるカーボンナノチューブ注5)の最短部分構造をもち、ユニークな形に由来した特異な電子的・磁気的性質をもつことから、新たな機能性分子として応用展開がなされています。カーボンナノリングをさまざまな分野で応用するうえで、多くの場合、その用途を実現するための固定化や修飾 (= 何らかの機能を有する分子構造を付与すること) を行う必要があります。一方で、カーボンナノリングは歪みをもつ分子であるため、一般的な共有結合を介した化学修飾が難しく、その手法は多段階の化学変換を要するものや、低効率なものに限られていました。また、一般的にはカーボンナノリングに修飾ユニットを直接、共有結合を介して連結するため、カーボンナノリングの構造が変化し、性質を不本意に変化させてしまうという問題がありました。


【研究内容】

 研究グループは、最もシンプルな構造をもつカーボンナノリングのシクロパラフェニレン(CPP)に対し、その構造を変化させることなく機能を付与することのできる新たな固定化・修飾法を開発しました (図1)。カーボンナノリングの合成法を巧みに利用した方法であり、多段階の変換を要することなくカーボンナノリングの固定化・修飾を行うことができます。


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図1:(上)シクロパラフェニレン(CPP)、修飾化CPP、CPPカテナンの構造 (下)Active Metal Template (AMT)法によるカテナンの合成


 カーボンナノリングが「輪っか」であるという特徴から着想を得て、キーホルダーのように修飾ユニットを「ぶら下げて固定する」ことができれば、カーボンナノリングの構造を変化させることなく修飾ユニットが導入できるのではないかと考えました。また、カーボンナノリングの合成法に着目し、修飾ユニットを効率的にぶら下げる手法を考案しました。一般的な合成法では、ベンゼン環をもつ非環状ユニットを複数個用い、金属錯体注6)によって環状に連結させることで最終的にカーボンナノリングを得ます。そこで、連結に用いる金属錯体に対して修飾ユニットとなる部分をもつ大環状分子を配位させることで、カーボンナノリングに対し他の大環状分子を「ぶら下げる」ことができると考えました。このような、2つ以上の大環状分子が空間を介して連結した分子をカテナンと言います。カテナンは超分子注7)と呼ばれる分子群の一種であり、2016年のノーベル化学賞の受賞対象にもなりました。また、上記のようなカテナン合成法はAMT法として知られていますが、これまでAMT法を用いたシクロパラフェニレンのカテナン形成は例がありませんでした。

 本研究では、2,2'-ビピリジン構造注8)をもつ大環状分子(2,2'-ビピリジンマクロサイクル)を配位子として合成し、AMT法によるカテナン分子の合成に適用しました。その結果、ベンゼン環9個からなる[9]CPPとひとつの2,2'-ビピリジンマクロサイクルからなるカテナンの合成に成功しました。カテナンにおける[9]CPPの構造は[9]CPPそのものと同様であり、[9]CPPの光物性や磁気的特性などの性質がほぼそのまま反映されていることが分かりました。2,2'-ビピリジンマクロサイクルは、そのような「CPPの性質に影響を与えない固定化・修飾ユニット」であると同時に、2,2'-ビピリジン部位を介して「CPPに望みの機能を後から付与することのできるユニット」としても振る舞います。芳香環の変換反応を利用して、2,2'-ビピリジン部位にホウ素官能基注9)やハロゲノ基注10)を導入できることを実証したほか、2,2'-ビピリジン部位で銀イオンに配位することで、これまでにないCPPの金属錯体を合成することに成功しました。


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図2:[9]CPPカテナンの合成  [9]CPPカテナンの[ ]内の数字は、CPPを構成するベンゼン環の数。[9]CPPカテナンの塩化メチレン溶液に紫外光(365 nm)を照射すると、鮮やかな緑色の蛍光が観測された。


 合成した[9]CPPカテナンの銀錯体は[9]CPPと同様の波長・形状の吸収・発光スペクトル注11)を示す一方、[9]CPPに比べて極めて長寿命の低温リン光注12)を示すことが分かりました。[9]CPPのリン光寿命注13)が2 µs (マイクロ秒)以下であるのに対し、[9]CPPカテナンの銀錯体は3 ms (ミリ秒)であり、1000倍以上長い寿命を有しています。これは銀イオンを配位させたカテナン構造においてCPPと2,2'-ビピリジンマクロサイクルのπ-π相互作用が増大した結果、CPPの励起三重項状態からの無輻射失活が抑制されたものと考えられます。


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図3:[9]CPPカテナンの銀錯体を用いた錯形成反応、イリジウム錯体を用いたホウ素化反応。[9]CPPカテナン銀錯体の単結晶を作成し、X線結晶構造解析によって分子構造を明らかにした。



【今後の展開】

 本研究では、CPP-2,2'-ビピリジンマクロサイクルカテナンという分子の合成を達成したことで、カーボンナノリングの新たな固定化・修飾法を開発しました。本手法は、カーボンナノリングの構造を変化させることなく性質を変調させることのできる画期的なものであり、カーボンナノリングを用いた機能性材料の創製につながる成果であると言えます。また、長寿命のリン光を示す物質は、有機EL材料注14)やアップコンバージョン材料注15)など多様な材料に活用されていることから、今後、CPPを用いた材料科学の発展に期待がもたれます


【付記】

 本研究は、以下の事業による支援を受けて行われました。


日本学術振興会 科学研究費補助金 特別推進研究(JP19H05463)

研究プロジェクト:「未踏分子ナノカーボンの創製」

研究代表者:伊丹 健一郎

研究期間:2019年4月~2022年3月


日本学術振興会 科学研究費補助金 国際先導研究(JP22K21346)

研究プロジェクト:「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探究」

研究代表者:山口 茂弘

研究分担者:八木 亜樹子

研究期間:2022年12月~2029年3月


公益財団法人 内藤記念科学振興財団 2022年度内藤記念女性研究者研究助成金

研究プロジェクト:「革新的な放射線活用に向けた新規有機シンチレータの開発」

研究代表者:八木 亜樹子

研究期間:2023年4月~2026年3月

国立研究開発法人 科学技術振興機構 さきがけ(JPMJPR22Q9)


【用語説明】

注1)カテナン:

2つ以上の大環状分子が鎖のように共有結合を介さずに連結した分子集合体。1983年にストラスブール大学のJean-Pierre Sauvage教授が効率的なカテナンの合成法を開発したことで大きく発展し、2016年にノーベル化学賞を受賞した。


注2)大環状分子:

炭素原子や酸素原子などにより形成された大きな環状の分子。一般的に、環状構造を形成する原子が12個以上あるものを指す。


注3)Active Metal Template (AMT)法:

共有結合を介さず、分子同士を機械的に連結するための手法の一つ。2006年にマンチェスター大学のDavis A. Leigh教授や東京理科大学の斎藤慎一教授の研究グループによって開発された。


注4)ベンゼン環:

炭素原子6個からなる正六角形の分子構造。そのベンゼン環に水素原子が6個ついた化合物をベンゼンと呼ぶ。平面構造が最も安定であり、湾曲した構造は歪みエネルギーをもつ。

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注5)カーボンナノチューブ:

炭素原子が六角形の網目を作るように筒状に結合した材料。高い導電性や強度をもつことから、電子製品や建築物の素材への応用が期待されている。


注6)金属錯体:

非金属の分子が金属原子や金属イオンを取り囲むように結合を形成した化合物の総称。この非金属の分子は配位子と呼ばれる。


注7)超分子:

水素結合やファンデルワールス相互作用、配位結合などの分子間に働く比較的弱い相互作用によって、複数の分子から形成される分子集合体の総称。分子を集合させることにより新たな機能が発現するため、化学だけでなく医療や環境などの分野での応用が期待されている。


注8)2,2'-ビピリジン構造:

2つのピリジン環が窒素原子に隣接する炭素原子同士で結合形成した構造。また、ピリジン環はベンゼン環の1カ所の炭素原子が窒素原子に置き換わった構造のことを指す。


注9)ホウ素官能基:

化合物の中におけるホウ素原子を含む原子団。特に、炭素原子とホウ素原子が結合した有機化合物を有機ホウ素化合物と呼ぶ。有機ホウ素化合物は、2010年にノーベル化学賞を受賞した鈴木-宮浦クロスカップリング反応の出発物質であり、有機合成において重要な合成中間体である。


注10)ハロゲノ基:

化合物の中における炭素原子などと結合を形成したハロゲン原子のこと。ハロゲノ基をもつ化合物はハロゲン化物と呼ばれ、様々な古典反応やクロスカップリング反応などの出発物質として使われる。


注11)吸収・発光スペクトル:

分子が吸収する光の波長域を示したグラフを吸収スペクトル、光を吸収した後に分子が放出する光の波長域を示したグラフを発光スペクトルと呼ぶ。吸収や発光は分子の構造を反映するため、これらスペクトルを解析することで分子の性質を理解することができる。


注12)低温リン光:

リン光とは分子が光を吸収した後に放出する光の一種であり、蓄光材料などで知られるように外部から光を与えなくてもしばらくの間発光を継続する現象が見られる。リン光は、特に有機分子では分子自身や周囲を取り囲む溶媒分子の熱振動などにより失活することが多い。そのため、リン光測定は一般的に低温下で行われる。


注13)リン光寿命:

分子が光を吸収した後、リン光発光を始めてから一定の発光強度まで減衰するのに要する時間。


注14)有機EL材料:

有機薄膜内に電気エネルギーが与えられたとき、正孔と電子が蛍光色素上で再結合することで発光する機能をもつ材料。単純かつフレキシブルな素子構造であるため、ディスプレイの薄型化や軽量化を可能にする。


注15)アップコンバージョン材料:

低いエネルギーの光を高いエネルギーの光に変換する現象をアップコンバージョンという。この現象を利用した材料はエネルギーを効率的に利用できるとして注目されており、具体的には太陽電池や人工光合成、光センサーなどへの応用が期待されている。