研究ハイライト

近赤外領域に蛍光を示す分子骨格を開発 ~反芳香族性の増大と緩和を両立させた設計法を確立~

【ポイント】

・近赤外領域1)に吸収および発光を示す分子骨格を開発するために、反芳香族化合物2)がもつ狭いHOMO-LUMOギャップ3)を利用した。

・反芳香族性のアゼピン4)にチオフェンを縮環させることによる反芳香族性とポリメチン性への二面的な効果が、反芳香族化合物に発光性を付与する戦略となることを実証した。

・電子受容性基5)を適切に選択することで、850 nmを超える近赤外領域での狭帯蛍光の発現に成功した。


【研究概要】

 国立大学法人海国立大学機構 名古屋大学大学院理学研究科の村井 征史 准教授とトランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)・学際統合物質科学研究機構(IRCCS)の山口 茂弘 教授らの研究グループは、近赤外領域に吸収帯および蛍光帯を示す反芳香族性分子の開発に成功しました。

 800 nmを超える近赤外領域で発光する有機分子の開発は、ヘルスケア用途に応用可能な光エレクトロニクス材料注6)や、生命科学研究の基盤技術の蛍光イメージングをはじめ、様々な分野で強く求められています。本研究では、その新たな分子骨格として、反芳香族性をもつアゼピンに芳香族ヘテロ環注7)であるチオフェンを縮環したジチエノ[b,f]アゼピンが有用であり、この骨格への電子受容性基の導入により、近赤外領域での吸収および蛍光が実現されることを見出しました。この発見の鍵は、狭いHOMO- LUMOギャップをもつ反芳香族化合物にポリメチン注8)型の共鳴の寄与をもたせることで、電子遷移を起こりやすくしたことでした。ジチエノ[b,f]アゼピンは三環性でありながら、これを実現した有用な基本骨格でした。今回の成果は、小さな骨格で近赤外発光材料を設計する上での、新たな戦略として期待されます。

 本研究成果は、2023年9月21日付けで論文誌「Angewandte Chemie International Edition」オンライン版に掲載されました。


【研究背景】

 近赤外領域に吸収や発光特性を示す有機分子は、ヘルスケア用途に応用可能な光エレクトロニクス材料や、生命科学研究の基盤技術となる蛍光イメージングの進展において、強く求められています。そのような分子を設計するための従来の代表的な戦略は、π共役骨格9)を大きく拡張することでした。しかし、この戦略により得られる色素では、π共役骨格間に働く強い相互作用に基づく溶解性の低下や、脂溶性の増加がしばしば問題となります。これらは分子をエレクトロニクス材料として用いる際の成型加工性の低下や、生体イメージングへの応用を困難にするため、優れた近赤外発光特性を有するできるだけ小さな基本骨格の開発が望まれていました。


【研究内容】

 この課題を解決するために本研究で注目したのは、反芳香族化合物がもつ狭いHOMO-LUMOギャップです。従来の反芳香族化合物は類似の芳香族化合物と比較し、HOMO-LUMO間のエネルギー差が小さいため、長波長領域での吸収や蛍光波長の観点では適していました。しかし、それに対応する電子遷移は起こりにくく、発光性を示すものはほとんどありませんでした。これに対し、本研究では、反芳香族性を示す含窒素7員環であるアゼピンに芳香族ヘテロ環であるチオフェンを縮環したジチエノ[b,f]アゼピンが、近赤外発光色素の基本骨格として有用であることを明らかにしました。


 まず、ジチエノ[b,f]アゼピンに電子受容性基を置換した誘導体1を設計し、その合成を達成しました。単結晶X線構造解析により、この分子のアゼピン部位の7員環は平面構造をとっていること、また結合長の評価から、この分子がアゼピン部位の窒素を介し、分子末端の2つの電子受容性基をつなぐポリメチン型の共鳴構造1' の寄与をもつことを明らかにしました(図1a,c)。これに対し、チオフェン環をベンゼン環に置き換えた類縁構造のジベンゾ[b,f]アゼピン誘導体2は、屈曲したアゼピン部位を含む湾曲構造をとっていました(図1b)。この立体配座の大きな違いを反映し、両者は大きく異なる吸収および蛍光特性を示しました。すなわち、誘導体1と同じ電子受容性基をもつ湾曲したジベンゾアゼピン誘導体は、吸収及び蛍光極大波長を446、621 nmに示したのに対し、高い平面性をもつジチエノアゼピン誘導体では、700 nmを超える長波長域に吸収および蛍光が観測され、チオフェンの縮環が吸収や発光の長波長化に有効であることが示されました。


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1.(a)ジチエノ[b,f]アゼピン誘導体1および(b)ジベンゾ[b,f]アゼピン誘導体2の結晶構造、(c)1における共鳴構造


 化合物12の構造が大きく異なることは、密度汎関数理論に基づく量子化学計算からも支持されました。また、この理論計算により、チオフェンの縮環が1におけるアゼピン環の反芳香族性を2よりも増大させること、その一方で、電子受容性基が置換した際には、アゼピン環の反芳香族性は部分的に緩和され、それに伴いポリメチン型の共鳴構造の寄与が大きくなることも示唆されました(2)。すなわち、高い反芳香族性に基づきHOMO-LUMOギャップが狭まる一方で、ポリメチン型の共鳴構造の寄与により電子遷移が起こりやすくなることが、1の長波長かつ強い吸収および蛍光特性の発現の要因であるといえます。このようなチオフェンの縮環がもたらす二面的な効果は、芳香族ヘテロ環であるチオフェンがベンゼンよりも低い芳香族性をもつことに由来するものです。


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2. ベンゼンとチオフェンの縮環が立体配座と反芳香族性に及ぼす二面的な効果


 さらに、この分子骨格の有用性を示すために、電子受容性基としてカチオン10)性のインドリウム基を導入した3を合成したところ、105 M-1cm-1を超えるモル吸光係数11)の強い吸収帯を846 nmに、そして狭い蛍光帯を878 nmにそれぞれ観測することもできました(3)


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3. インドリウム基をもつジチエノ[b,f]アゼピン3(a)構造、(b)ジクロロメタン溶液中における吸収(実線)および蛍光スペクトル(破線)


【成果の意義】

 今回の成果の意義は、反芳香族性とポリメチン性をバランスよく一つの分子骨格にもたせることが、優れた近赤外吸収や蛍光特性を発現するための戦略として有効であることを示したことにあります。これを実現するためには、ベンゼンに比べて芳香族性が低いチオフェンをアゼピンに縮環させることが鍵でした。この縮環構造は三環性の小さな基本骨格でありながら、アゼピンの反芳香族性の増大と緩和の相反する二面的な効果をもたらし、近赤外領域に至る吸収および蛍光波長と大きな吸光係数という特性を一挙に獲得可能にしました。

 近赤外領域の中でも8001100 nmの波長は、ヘモグロビンや水による吸収が比較的弱く、細胞組織透過性が高いことから生体組織における光学窓とよばれています。そのため、この領域に吸収および蛍光を示す分子は、生体深部のイメージングを可能にする蛍光プローブや、光線力学療法や光熱療法にも応用できる有用な色素であるといえます。今回確立したそれらを設計するための戦略は、今後、多彩な近赤外発光材料の創製に繋がるものと期待されます。


【付記】

 本研究は、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CREST「励起ダイナミクス制御に基づく光機能性ヘテロπ電子系の創製」(20212026年度)、および日本学術振興会科学研究費助成事業(国際共同研究加速基金)「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探求」(20222029年度)の支援のもとで行われたものです。


【用語説明】

1) 近赤外領域:

可視光より長波長の電磁波の中で、波数125004000 cm-1(波長8002500 nm)の光。


2) 反芳香族化合物:

4n個のπ電子を含む環状共役系からなる化合物。4n+2個のπ電子からなる芳香族化合物とは対照的に不安定であり、高い反応性をもつことが多い。


3) HOMO-LUMOギャップ:

電子が入った最もエネルギーの高い軌道(HOMO)と、電子が入っていない最もエネルギーの低い軌道(LUMO)のエネルギー差。


4) アゼピン:

共役したトリエンの両末端の炭素を窒素で連結した7員環構造の化合物。


5) 電子受容性基:

低いエネルギー準位に空の軌道をもつことにより、結合している骨格から電子を受け取りやすい性質を示す置換基。


6) 光エレクトロニクス材料:

光と電子の挙動に基づいた電子工学分野の技術に用いられる材料。有機分子を用いたものでは、有機発光ダイオードや有機レーザーなどが挙げられ、計測、医学、エネルギー関連分野、情報関連分野への応用が期待される。


7) 芳香族ヘテロ環:

芳香族性をもつN, O, Sなどのヘテロ原子を含む環状化合物。


8) ポリメチン:

メタンCH4から水素を3つ除去したメチンが、共役した二重結合を介して複数連結された構造。シアニンやキサンテン、スクアリウム系化合物を始め、色素の基本骨格として広く用いられている。


9) π共役骨格:

二重結合や三重結合などの不飽和結合と単結合の繰り返しが連なった構造。


10) カチオン:

正電荷をもつ化学種。


11) モル吸光係数:

物質に固有な光を吸収する能力を示す値。