研究ハイライト

珪藻の光合成アンテナの特異な光学機能を 量子化学計算から解明 ~フコキサンチンの未知なる光吸収とエネルギー移動の役割を発見~

【ポイント】

・長波長の太陽光が届かない海中で珪藻がどのように効率的に光を集めいているかを量子化学計算で解明

・フコキサンチン-S分子が珪藻集光アンテナ注1)の特徴的な光吸収に寄与することを発見

・フコキサンチン・クロロフィルa/c結合タンパク質(FCPII)の四量体化がフコキサンチン-S分子の特異性を生み出すことを解明

・光合成生物が生活環境に適応するための生存戦略を知る手がかりとなる重要な発見


【研究概要】

 国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の藤本 和宏 特任准教授と柳井 毅 教授の研究チームは、珪藻の集光アンテナの特徴的な光吸収と励起エネルギー移動注2)に寄与する物理化学的要因を、量子化学計算注3)に基づく励起子モデル注4)を用いて解明しました。

 珪藻とホウレンソウの集光アンテナは化学構造の類似した化合物で構成されていますが、吸収波長は異なっています。近年のクライオ電子顕微鏡注5)の進歩により、珪藻の集光アンテナであるフコキサンチン・クロロフィルa/c結合タンパク質(FCPII)は、四量体を形成することやホウレンソウの集光アンテナとは構成するプロトマー注6)の個数が異なることが明らかにされています。しかしながら、集光アンテナの吸収波長調節の分子機構は不明のままです。本研究では、励起子モデルを用いた吸収スペクトル注7)計算から、FCPIIに含まれるユニークなフコキサンチン分子(フコキサンチン-S)が珪藻に特徴的なスペクトルに大きく寄与していることを明らかにしました。また、フコキサンチン-Sは獲得した光エネルギーをクロロフィルへ効率的にエネルギー伝達していることも明らかにしました。さらなる解析から、これらのフコキサンチン-S分子の特異性はFCPIIの四量体化に伴うプロトマー間の近接化に起因することを突き止めました。

 本研究で得られた知見は、長波長の太陽光が届かない海中で珪藻がフコキサンチン-Sを用いた光捕集をしていることを示すものであり、光合成生物がその生活環境に適応するための生存戦略について重要な情報を提供するものです。

 本研究成果は、2024年1月18日付米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society」のオンライン速報版に掲載されました。


【研究の背景】

 光合成生物は、光合成に必要な光エネルギーを効率よく集めるために、集光アンテナタンパク質を利用しています。集光アンテナはどれもよく似た構造の化合物で構成されていますが、それぞれ異なる吸収波長を示すことが知られています。このことは、光合成生物が環境に応じて集光アンテナの吸収波長を柔軟に適応させていることを示唆しています。珪藻とホウレンソウの集光アンテナは500-560 nmの波長域での光の吸収が異なりますが、これが両者の体色の違い(赤褐色と緑色)を生み出す原因だと考えられています。近年のクライオ電子顕微鏡の進歩により、珪藻やホウレンソウの集光アンテナに含まれるタンパク質複合体の立体構造が明らかにされてきましたが、集光アンテナの吸収波長の調節に関する分子メカニズムは依然として解明されていません。


【研究の内容】

 本研究は、赤褐色の体色をもつ珪藻(Chaetoceros gracilis)の集光アンテナにおける特徴的な光吸収の分子機構を解明することを目的としました。珪藻の集光アンテナはフコキサンチン・クロロフィルa/c結合タンパク質(FCPII)と呼ばれ、フコキサンチンやクロロフィルaなどから構成されています(図1A)。これらの色素は、緑色の体色をもつホウレンソウ(Spinacia oleracea)の集光アンテナ(LHCII)に含まれているネオキサンチンやクロロフィルb(図1A)などと類似しています。


 本研究ではまず、量子化学計算に基づく励起子モデルを用いて、珪藻のFCPIIに対する吸収スペクトルの計算を行いました。励起子モデルを用いることで大きな系であるFCPIIに対しても計算が可能となります。計算で得られたFCPIIの吸収スペクトルは、実験で観測された吸収スペクトルの形状を再現することに成功し、珪藻の赤褐色の体色に関連する500-560 nmの波長領域におけるスペクトルを確認することができました(図1B)。


 次に、スペクトル解析を進めたところ、珪藻FCPIIの500-560 nmの光吸収は、FCPII中に、通常のフコキサンチン分子とは別に含まれる特別なフコキサンチン分子に起因することが明らかになりました。本研究チームはこれを「フコキサンチン-S」と命名しました(図1C)。珪藻のFCPIIとホウレンソウのLHCIIの立体構造を比較したところ、LHCIIにはフコキサンチン-Sと同様の位置にカロテノイド分子は存在しませんでした。この結果からFCPII中でのフコキサンチン-Sの存在は珪藻の集光アンテナにおける大きな特徴であることが分かりました。


 さらにスペクトルの成分を詳しく解析したところ、FCPIIに特徴的な500-560 nmの光吸収は、FCPIIの四量体化によってプロトマー間が近接した結果、フコキサンチン-Sが隣接する荷電アミノ酸注8)やクロロフィルaと強く静電相互作用することによって引き起こされることが明らかになりました(図2)。


 電子カップリング注9)を解析した結果、FCPII中のフコキサンチン-Sは、FCPII中に含まれる他の通常のフコキサンチン分子よりもクロロフィルaに対して励起エネルギー移動を起こしやすいことが示されました。こうした効果もまた光吸収の場合と同様に、FCPIIの四量体化に伴うプロトマー間の近接化に起因することが分かりました。


 LHCIIを含むホウレンソウは陸上植物であるのに対し、FCPIIを含む珪藻は海岸近くの水深約5mの海中に生息しています。図3Aに示すように、水深が深くなるにつれて海中に到達できる長波長の太陽光は減衰します。FCPIIに含まれるクロロフィル分子は600 nmより長い波長の光を吸収するため、水深5 mで生息する珪藻は、クロロフィルだけでは光合成に必要な太陽光エネルギーを獲得することができません。本研究により、FCPII内における励起エネルギー移動の経路は、通常のフコキサンチンからフコキサンチン-S、そしてクロロフィルaに至ることが示唆されました(図3B)。本研究での解析を通じて、フコキサンチン-Sが珪藻の集光アンテナにおけるクロロフィルの不十分な光捕集機能を補っていることが理解されました。




fig1.png

図1:(A)フコキサンチン、ネオキサンチン、クロロフィルa、クロロフィルbの化学構造、(B)計算で求められたFCPII四量体と単量体の吸収スペクトル、(c) FCPII四量体構造、およびFCPII単量体中におけるフコキサンチン-Sの構造(緑色で表示)。



fIg2.png

図2:(A) FCPIIの四量体化によってフコキサンチン-Sと強く静電相互作用するアミノ酸とクロロフィルaの構造、(B)静電相互作用の数値解析から、四量体化したFCPIIが各フコキサンチン-Sに強い静電効果を与える分子スキームを提案することに成功。


fig3.png

図3:(A)水深1~25 mにおける放射照度透過率、(B)理論計算に基づいてフコキサンチン-SがFCPII内における励起エネルギー移動の未知なる役割を果たしていることを発見。



【今後の展開】

 本研究で得られたデータから、珪藻の集光アンテナは、光合成に十分な光エネルギーを得るためにフコキサンチン分子の光学的性質を巧みに利用していることが示されました。これらの知見は、光合成生物が生活環境に適応しながら生存するための戦略を理解する上で重要な意味を持つと考えられます。

 本研究では、代表的な珪藻としてChaetoceros gracilisのFCP型集光アンテナを取り上げましたが、フコキサンチンを含んだ集光アンテナは他の珪藻にも存在します。このようなフコキサンチンのさらなる研究は、珪藻の光捕集機能のより深い理解をもたらすものと期待されます。


【付記】

 本成果は、以下の事業・共同利用研究施設による支援を受けて行われました。


日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤C(20K05430)

研究プロジェクト:「高精度電子カップリング計算による光合成励起エネルギー移動の解明」

研究代表者:藤本 和宏

研究期間:2020年4月~2022年3月


日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤B(21H01881)

研究プロジェクト:「多参照電子論に基づく状態遷移速度計算法:無輻射失活及びプロトン共役電子移動の解析」

研究代表者:柳井 毅

研究期間:2021年4月~2024年3月


科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR21O5)

研究プロジェクト:「励起ダイナミクス制御に基づく光機能性ヘテロπ電子系の創製」

研究代表者:山口 茂弘

研究期間:2021年10月~2027年3月


日本学術振興会 国際共同研究加速基金(国際先導研究)(22K21346)

研究プロジェクト:「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探究」

研究代表者: 山口 茂弘

研究期間:2022年12月~2029年3月


文部科学省・共同利用・共同研究システム形成事業 「学際領域展開ハブ形成プログラム」 (JPMXP1323015482)

研究プロジェクト:「マルチスケール量子-古典生命インターフェース研究コンソーシアム」

研究代表者: 井上 圭一

研究期間:2023年10月~2033年3月


【用語説明】

注1)集光アンテナ:

光合成を行う生物がもつタンパク質複合体であり、効率的な光捕集の役割を担っている。集光アンテナの内部にはカロテノイドやクロロフィルといった多数の色素分子が含まれている。集光アンテナの形状や光学的な性質は光合成生物ごとに大きく異なることが知られている。


注2)励起エネルギー移動:

光吸収により励起状態になった分子(ドナー)が脱励起して基底状態に戻るのと同時に別の分子(アクセプター)が励起状態に移る現象を指す。励起エネルギー移動により、ドナーのもつ励起エネルギー(光吸収により得られたエネルギー)がアクセプターに伝達される。蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)も励起エネルギー移動の一種である。


注3)量子化学計算:

量子力学の方程式(シュレーディンガー方程式)を数値的に解いて、分子や集合体の構造情報からそのエネルギー予測や電子構造を解析する計算化学的アプローチ。電子レベルで物質の相互作用を精密にシミュレーションすることで、反応機構や物性を高い信頼性と精密さで予測することができる。


注4)励起子モデル:

孤立した分子の励起状態ではなく、相互作用した複数の分子から構成される系の励起状態を求める計算モデル。集光アンテナは系が大きいために一般的な量子化学計算をそのまま適用することが困難である。これに対し、励起子モデルを用いることで比較的少ない計算コストで集光アンテナの励起状態を求めることが可能となる。


注5)クライオ電子顕微鏡:

試料を急速に冷却して凍結させた状態で構造解析を行う手法である。結晶化の困難なタンパク質に対しても高い分解能での構造解析が可能となっている。


注6)プロトマー:

タンパク質複合体を構成する一つ一つのサブユニット(構造単位)を指す。


注7)吸収スペクトル:

光の波長を変えたときの分子の光の吸収率を表示したもの。分子ごとに特徴のある形状をした吸収スペクトルが得られる。分子の性質の理解のために吸収スペクトルの解析が広く行われる。


注8)荷電アミノ酸:

正や負の電荷をもつアミノ酸を指す。一般的に、グルタミン酸やアスパラギン酸は負の電荷を、アルギニンやリジンは正の電荷をもつ。ただし、pHなどの周辺環境によってこれらのアミノ酸の荷電状態は中性に変化する場合もある。


注9)電子カップリング:

二つ異なる電子状態の間における相互作用を指す。フェルスター理論によると励起エネルギー移動の速度は電子カップリングの二乗に比例するため、電子カップリングの絶対値が大きくなるほど励起エネルギー移動が起こりやすくなることを意味する。