研究ハイライト

電荷分離積層構造を形成する安定なカチオン性分子を開発 ~積層様式の制御を通じた電荷キャリア輸送の新戦略を提案~

【研究概要】

・カチオン注1)性π共役分子注2)の秩序構造の制御が、エレクトロニクス材料注3)を開発する上での新たな戦略となることを実証した。

・非ベンゼノイド芳香族注4)であるアズレン注5)の組み込みと、硫黄原子による分子骨格の平面固定化が、カチオン性π共役分子の高度な安定化に重要であることを示した。

・アニオン注6)種を適切に選択し、隣接するカチオン種との相対配置を固定することで、π骨格同士が大きく重なった電荷種分離型の積層構造注7)の形成を実現した。

・形成した積層体が高い電荷キャリア注8)輸送特性を発現することを、時間分解マイクロ波分光注9)と電気伝導度の測定により明らかにした。


【研究概要】

 名古屋大学大学院理学研究科の村井 征史 准教授とトランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)・学際統合物質科学研究機構(IRCCS)の山口 茂弘 教授、京都大学大学院工学研究科の関 修平 教授らの研究グループは、電荷種分離型の積層構造の形成を伴い、高い電荷キャリア輸送特性を発現するカチオン性π共役分子の開発に成功しました。

 π共役化合物は秩序構造の形成により、特異な光学特性や電荷輸送特性を発現するため、エレクトロニクス材料をはじめ、様々な分野で応用されています。本研究では、非ベンゼノイド芳香族であるアズレンの導入と、硫黄架橋による平面固定化を組み合わせることで、正電荷を帯びたπ電子系を大きく安定化できること、そして対アニオンの選択により、それらを電荷種分離型に積層できることを見出しました。対アニオンに含まれるフッ素原子が、カチオン種の水素および硫黄原子と静電相互作用することが、この特異な積層構造を形成するための鍵でした。また、時間分解マイクロ波分光と電気伝導度の測定により、柱(カラム)状に積層したこのカチオン性分子を介し、高い電荷キャリア輸送特性が発現することを明らかにしました。本研究成果は、イオン性π共役化合物をエレクトロニクス材料として応用する上での、新たな戦略として期待されます。

 本研究成果は、2024年8月2日付米国科学誌「Journal of the American Chemical Society」オンライン版に掲載されました。


【研究背景と結果】

 π共役化合物は、分子間相互作用の制御により、凝集状態において秩序構造を形成し、その構造を反映した光学特性や電荷輸送特性を発現するため、エレクトロニクス材料を中心に広く利用されています。電荷をもったπ共役分子は、カチオン種とアニオン種のユニットを、それぞれ別々にデザインできるため、この秩序構造を形成する上でのモチーフとして適していると考えられます。

 しかし、実際には、同種の電荷を有するユニット間には静電反発が、そして異種の電荷を有するユニット間には静電引力がそれぞれ働くため、電荷を帯びたπ共役化合物は、カチオン種とアニオン種が交互に積層した構造を形成することがほとんどでした(図1a)。

このような電荷種が交互に積層した構造体では、電荷キャリア輸送材料として応用する際に、輸送対象となる電荷がその逆の電荷をもつ積層ユニットによって捕捉されてしまうため、電荷移動度が低くなってしまいます。

 この問題を解決するためには、同種の電荷ユニットの配列からなる電荷種分離型の積層構造(図1b)を与えるイオン性π共役化合物群の創製、およびそれをデザインするための新戦略の提案が必要とされていました。


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図1. (a)電荷種交互積層体および(b)電荷種分離積層体の例


 本研究では、炭素カチオンに、非ベンゼノイド芳香族のアズレンを連結し、さらに硫黄原子で架橋することで、平面固定したカチオン性ジアズレノメテンの合成を達成しました(図2a)。この分子は、形式的には、かさ高い置換基による立体保護がない第二級カルボカチオン種でありながら、pH 10の塩基性条件下においても、高い安定性を示しました。単結晶X線構造解析および密度汎関数理論に基づく量子化学計算の結果、正電荷が硫黄を含むπ共役骨格全体で高度に非局在化注10)されることにより、この特異な安定性が発現することが明らかになりました。これは、アズレン環を構造異性体であるナフタレン環に置き換えた類縁体では、正電荷が大きく局在化することと対照的な特性です。

 これらの結果から、双性イオン注11)型の共鳴の寄与をもつアズレンを組み込み、カチオン性π電子系を安定化する戦略の有用性が示されました。


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図2. (a)カチオン性ジアズレノメテン1と2の構造、(b)隣接する二分子が大きく重なった結晶状態における1の構造、(c)1および(d)2の結晶構造と積層モチーフ(ArF = 3,5-(CF3)2C6H3)


 また、対アニオンとしてヘキサフルオロアンチモネート(SbF6-)を有する1が、結晶状態において、隣接するカチオン種同士が大きく重なった積層体を形成することを見いだしました(図2b)。これは、SbF6-に含まれるフッ素原子が、2つのアズレン環と中央のメチン部位からなる湾の内側の水素原子、および隣接するカチオン種に含まれる硫黄原子と静電相互作用し、それぞれの相対配置を固定するためです(図2c)。アズレンが5員環と7員環から構成されることで、分子が湾曲構造をとる結果、このような特異な電荷種分離型の積層構造が形成されました。

 一方、対アニオンとしてホウ素を含むB[3,5-(CF3)2C6H3)]4-を有する2は、このような静電相互作用を形成できないため、結晶状態において、カチオン種とアニオン種が交互に配列した従来の交互積層型の構造体を形成しました(図2d)。エネルギー分割解析注12)の結果、隣接するπ共役骨格間において働く分散力注13)に基づく安定化効果が、静電反発に由来する不安定化の寄与を打ち消すことで、電荷種分離型の積層構造が形成されていることが示唆されました。

 このように、アズレン環を導入し、π共役骨格を湾曲させること、そして対アニオンを適切に選択することで、結晶状態において、電荷種分離型の積層体を選択的に形成できることを明らかにしました。


 さらに、時間分解マイクロ波分光(TRMC)と電気伝導度の測定により、結晶状態における1が1.7 cm2/Vsに達する高い移動度を示すことを明らかにしました。対照的に、電荷種が交互に積層する2では、TRMC測定において弱い信号しか検出されず、移動度の定量化はできませんでした。 これにより、カチオン性π共役化合物が電荷種ごとにカラム状に積層することで、実際に高い電荷輸送特性が発現することを実証できました。また、生じるキャリアが対アニオンによる遮蔽を受けながら再結合する、イオン性π電子系に特有な電荷伝導プロセスを解明することにも成功しました。


【成果の意義】

 イオン性π電子系がもつ潜在的な物性や機能を最大限に引き出すためには、電荷を帯びた安定なπ共役骨格の創出とともに、凝集状態における分子配向の制御が重要となります。今回の成果の意義は、アズレン環の導入と硫黄原子による骨格の平面固定が、安定化と電荷種分離型の積層体を形成する上での戦略として、有効であると示したことにあります。非ベンゼノイド芳香族であるアズレンと硫黄の共鳴効果を利用することで、正電荷を効果的に分散したことが、この発見の鍵でした。この特異な分離積層体の形成により、高い電荷キャリア移動度が発現するとともに、電荷伝導プロセスにおける新たな知見を得ることにも成功しました。


【付記】

 本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A) 「高密度共役の科学」(23H04023)、国際共同研究加速基金 「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探求」(22K21346)、および科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CREST 「励起ダイナミクス制御に基づく光機能性ヘテロπ電子系の創製」(JPMJCR21O5)の支援のもとで行われたものです。


【用語説明】

注1) カチオン:

正電荷をもつ化学種。この内、炭素原子上に正電荷をもつ化学種を特にカルボカチオンとよぶ。

注2) π共役分子:

二重結合や三重結合などの不飽和結合と単結合の繰り返しが連なった構造をもつ分子。

注3) エレクトロニクス材料:

光と電子の挙動に基づく電子工学分野の技術を用いて開発される材料。有機分子を用いたものでは、有機発光ダイオードや有機レーザーなどが挙げられ、計測、医学、エネルギー関連分野、情報関連分野への応用が期待される。

注4) 非ベンゼノイド芳香族:

ベンゼン環をもたない環状分子の中で、芳香族性をもつものの総称。

注5) アズレン:

7員環と5員環が縮環した構造をもつ分子。濃青色を呈する分子であり、生理活性をもつなど、構造異性体にあたる2つの6員環が縮環したナフタレンとは大きく異なる性質をもっている。

注6) アニオン:

負電荷をもつ化学種。

注7) 電荷種分離型の積層構造:

同種の電荷を有するユニットがカラム状に配列した構造。

注8) 電荷キャリア:

電子や正孔などの電荷輸送の役割を担う粒子。

注9) 時間分解マイクロ波分光:

マイクロ波の照射により、非接触・非破壊的に試料の電荷移動度を評価する手法。

注10) 非局在化:

π共役化合物において、電子が1つの結合上に局在せず、共役骨格全体に分散して広がること。非局在化により電荷の空間分布が広がることで、電子の運動エネルギーが低下する結果、化合物の安定性が向上する。

注11) 双性イオン:

分子内に正電荷と負電荷の両方をもつ化学種。

注12) エネルギー分割解析:

量子化学計算で得られる全エネルギーを、静電相互作用や交換反発、電荷移動相互作用などの成分に分割して解析する手法。

注13) 分散力:

2つの分子や原子が近接する際に生じる双極子と誘起双極子の間で働く静電引力。