研究ハイライト

水に溶ける炭素のナノベルト 〜ナノカーボン材料の生物分野での新たな可能性〜

【概要】

 理化学研究所(理研)開拓研究本部伊丹分子創造研究室の伊丹健一郎主任研究員(名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)主任研究者)、天池一真研究員、名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所の八木亜樹子特任准教授らの共同研究グループは、炭素原子から成るベルト状分子(ナノベルト)[1]が簡単に水に溶けるような化学修飾法を開発しました。また、その水溶性ナノベルトが哺乳類細胞内にユニークな挙動で取り込まれることを発見しました。 本研究成果は、ナノカーボン材料の生物分野への応用研究に貢献すると期待されます。

 共同研究グループは、本来、全く水に溶けない分子群である分子ナノカーボンの水溶化を実現しました。独自に開発したベルト状分子ナノカーボン「メチレン架橋シクロパラフェニレン(MCPP)」をわずか2段階で水溶化することに成功し、また合成した水溶性MCPPの哺乳類細胞における動態を解析し、これまで報告されていない分子ナノカーボンの細胞導入挙動を明らかにしました。

 本研究は、科学雑誌『Angewandte Chemie International Edition』オンライン版(9月30日付)に掲載されました。


【背景】

 炭素原子から成るベルト状芳香族分子であるナノベルトや、リング状芳香族分子であるナノリング[1]は、その興味深い化学構造と物理的特性から主に材料科学分野での応用が期待されている分子群です。さらに、近年では生物分野での応用もされつつあります。しかし、これらの分子は潜在的に水に溶けないため、水溶化のための変換が必要でした。従来法では、合成の初期段階で水溶化のための官能基の導入が必要であり、合成の難易度が高い状況でした。そのため、これまでナノリングに関しては水溶化が達成されているものの、剛直で、内部空間が固定されたナノベルトについては、水溶化ができていませんでした。

 共同研究グループは、独自に開発したナノベルトである「メチレン架橋シクロパラフェニレン(MCPP)」に着目し、短段階での水溶性ナノベルトの合成に挑み、加えて、その哺乳類細胞内動態の検証を行いました。


【研究手法と成果】

 水溶性ナノベルトの合成を達成するためには、短段階で合成する方法を確立する必要がありました。そこで今回、従来法のような合成初期段階ではなく、合成後期段階に水溶性置換を導入する方法を模索しました。その中で、伊丹主任研究員らの研究グループが独自に開発し、すでに市販されている[6]MCPP([6]は含まれるベンゼン環の個数を示す)を、直接官能基化(合成後期段階での官能基化)することが可能であると考えました。種々検討した結果、クリック反応[2]が可能なアルキニル基を[6]MCPPに一つ導入することができました。また導入したアルキニル基に対して、水溶性ユニットであるフルオレセイン誘導体(蛍光分子)をクリック反応で結合し、[6]MCPPからわずか2段階で水溶性ナノベルトの合成を達成しました(今後これを「水溶性ナノベルト1」と表記)(図1A)。

 続いて合成した水溶性ナノベルト1の哺乳類細胞におけるバイオイメージングを行いました。水溶性ナノベルト1を含む培地で哺乳類細胞を30分間培養するとナノベルト1は主に細胞膜に観察されましたが、2時間後には、細胞内に拡散していることが分かりました(図1B)。このような現象は類似分子である水溶性ナノリングにおいては報告されていない現象です。


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図1 水溶性ナノベルト

(A)水溶性ナノベルト1の合成スキーム。[6]MCPPにアルキニル基を一つ導入し、次にフルオレセイン誘導体(蛍光分子)をクリック反応で結合したところ、水溶性ナノベルト1が合成された。

(B)水溶性ナノベルト1の哺乳類細胞におけるバイオイメージング。培地に含まれた水溶性ナノベルト1は、培養してから30分後に細胞膜に局在し、2時間後には細胞内に取り込まれていた。


 一般的に細胞膜透過性は分子の脂溶性という物理的性質に関連するといわれていますが、一連の構造物性相関実験から、今回の現象は、水溶性ナノベルトの持つベルト状構造に由来していることが予想されました。そこで、ベルトの内部空間とタンパク質や脂質などの生体分子との相互作用を調査しました。密度汎関数理論(DFT)計算[3]を行い、[6]MCPPの内部空間と細胞表層のタンパク質の構成要素であるアミノ酸との相互作用を計算したところ、[6]MCPPとリシンとのホスト-ゲスト複合体[4]が安定に存在し得ることが分かりました(図2A)。このDFT計算結果は、実験化学的にも検証されています。また、以前の報告注)から、[6]MCPPではベルト内部空間にアルキル鎖(脂質の部分構造)が取り込まれることがX線結晶構造により分かっています。今回のメカニズムを完全に理解するためにはさらなる検証が必要ですが、水溶性ナノベルトが細胞表層に存在するタンパク質や脂質とのホスト-ゲスト複合化を鍵として細胞内に取り込まれる可能性を見いだしました(図2B)。


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図2 水溶性ナノベルトの動態解明

(A)計算科学により[6]MCPPとリシンとのホスト-ゲスト複合化を検討。[6]MCPPがリシンを捉える可能性があることが分かった。

(B)水溶性ナノベルト1の推定の動態メカニズム。計算科学によって、水溶性ナノベルト1は、細胞表層にあるタンパク質や脂質とのホスト-ゲスト複合化を鍵として細胞内に取り込まれる可能性が示唆された。時間経過は図1Bに示されたものと同じである。


注)"A Non-alternant Aromatic Belt: Methylene-bridged [6]Cycloparaphenylene Synthesized from Pillar[6]arene"Yuanming Li, Yasutomo Segawa, Akiko Yagi, Kenichiro Itami, J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 12850-12856.

"Methylene-bridged [6]-, [8]-, and [10]cycloparaphenylenes: Size-dependent properties and paratropic belt currents"Hideya Kono, Yuanming Li, Riccardo Zanasi, Guglielmo Monaco, Francesco F. Summa, Lawrence T. Scott, Akiko Yagi, Kenichiro Itami, J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 8939-8946.


【今後の期待】

 本研究で、世界で初めて水溶性ナノベルトの合成を達成しました。また哺乳類細胞におけるバイオイメージングを行ったところ、細胞膜と相互作用した後に細胞内に取り込まれる、というユニークな動態を観測しました。この動態はベルト内部空間と生体高分子との相互作用によってもたらされることが示唆され、筒状の分子ナノカーボンの生物分野への応用に新たな知見を与えました。

 また、今回の合成中間体であるアルキニル基で官能基化された化合物は、汎用的であるクリック反応に利用可能な分子です。そのため、高度に官能基化されたナノベルトのプラットフォームとして有用です。今回のような蛍光分子だけでなく、さまざまな機能をナノベルトに付与することが可能であり、さらなるナノベルトの生物分野への展開が期待されます。


【用語説明】

[1] 炭素原子から成るベルト状分子(ナノベルト)、ナノリング

ナノベルトはベンゼンなどの芳香環が縮環構造を形成しながら筒状に連結された分子群の総称。対して、ナノリングは芳香環同士が一つの単結合を介して環状に連結された分子群を指す。


[2] クリック反応

シートベルトが「カチッ」とつながるように、二つの分子を簡単かつ確実に連結することができる化学反応の総称。ここでは、クリック反応の代名詞ともいえるアルキニル基とアジド基の[3+2]付加環化反応を指している。クリック反応は2022年のノーベル化学賞の受賞対象となった。


[3] 密度汎関数理論(DFT)計算

密度汎関数理論に基づく電子状態計算法。化学分野のみならず物理学や生物分野においても汎用性の高い計算手法として最も広く用いられている。DFTはDensity Functional Theoryの略。


[4] ホスト-ゲスト複合体 種々の分子間相互作用によって、大きな分子(ホスト)が小さな分子(ゲスト)を捕捉する反応によって生じる複合体。


【共同研究グループ】

理化学研究所 開拓研究本部 伊丹分子創造研究室

  主任研究員        伊丹健一郎 (イタミ・ケンイチロウ)

 (名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)主任研究者)

  研究員          天池一真  (アマイケ・カズマ)

名古屋大学

 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)

  特任准教授        八木亜樹子 (ヤギ・アキコ)

  特任准教授        中村匡良  (ナカムラ・マサヨシ)

  博士研究員(研究当時)  磯田玲華  (イソダ・レイカ)

 (現 産業技術総合研究所 研究員)

 大学院理学研究科

  大学院生(研究当時)   コンスタンティン・ガンサー(Konstantin Günther)

 (現 ウィーン大学(オーストリア) 大学院生)

  大学院生         河野英也  (コウノ・ヒデヤ)

  大学院生(研究当時)   周戸大季  (シュウド・ヒロキ)

  (現 琉球大学 日本学術振興会(JSPS)特別研究員)

  大学院生         清水大輔  (シミズ・ダイスケ)


【研究支援】

本研究は、上原記念生命科学財団研究助成金「生物活性分子ナノカーボンの創製(研究代表者:伊丹健一郎)」、中外創薬科学財団研究助成金「核酸輸送ナノカーボン分子の創製(研究代表者:伊丹健一郎)」、日本学術振興会(JSPS)国際共同研究加速基金(国際先導研究)「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探究(研究代表者:山口茂弘、研究分担者:八木亜樹子)」による助成を受けて行われました。